勉強も一年半ぐらゐしか続かなかつた。悟りの実体に就て幻滅したのである。結局少年の夢心で仏教の門をたゝき幻滅した私は、仏教の真実の深さには全くふれるところがなかつたのではないかと思ふ。つまり仏教と人間との結び目、高僧達の人間的な苦悩などに就ては殆どふれるところがなかつたもので、倶舎《くしや》だの唯識《ゆいしき》だの三論などゝいふ仏教哲学を一応知つたといふだけ、悟りなどゝいふ特別深遠なものはないといふ幻滅に達して、少年時代の夢を追ひ再び文学に逆戻りをした。とても一人前の作家などにはなれないと思つてゐたから、始めから落伍者の文学をもつて認じてゐた。ボルテールだのポオの作品、それも特に人生を茶化したやうな作品が好きで、私自身もファルス作家にならうかと考へ、モリエールだのボンマルシェなどを熱愛してをつたのである。だから私は仏教に幻滅すると、アテネ・フランセへ通つてフランス語の勉強を始めた。どうせ一人前にはなれないときめて、せめて屋根裏で首をくゝるまでのあひだファルスでも書き残しておかうといふ考へで、落伍者《ラテ》の街である巴里《パリ》にあこがれてをり、私の母もゆくゆくは私を巴里へ留学させるつもりにしてゐたのであるが、私はもし巴里へ行けば多分屋根裏で自殺をしてしまふだらうとなぜか決定的な暗い予感に脅えてをり、留学の幸福を予想することが全然できなかつた。後日女のことで家出をして巴里へ行く機会を失つてしまつたが、私の暗い予感が私の旅行をはゞんでもゐたのである。事実私は留学すれば予感通りの結末を招いてゐたかも知れぬ。なぜなら人は予感を実現する動物でもあるからである。
アテネ・フランセでフランス語の勉強をしてゐるうちに一つのグループができて、同人雑誌をださうといふことになつた。私はそのときまで同人雑誌などゝいふ存在を全然知らず、無名の作家がそんな便利な手段で作品を世に問ふことができるものだなどゝ夢にも考へてゐなかつた私は非常にびつくりして、之《これ》は案外落伍者でなくても済むのぢやないかと初めて人生に希望をもつたことを忘れない。私はそれまで改造の懸賞に応募してその都度(たぶん二度)落選してゐたのである。
アテネ・フランセの十四五人ぐらゐの文学愛好者が集つて「言葉」といふ翻訳を主にした同人雑誌をだしたのが昭和五年であつたと思ふ。私が編輯には当つたが、私自身がこの雑誌の発案者ではなかつ
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