ですと言ふ。なるほど其後打ちとけて話してみると稀代な好人物なのである。
先日おやぢが白昼突然やつてきて「へい新聞を買ひに上りました」と云ふ。この前来たとき新聞の山を見てゐたのだ。新聞をまとめて、どつこいしよと担いで、さて一杯飲みませうと外へでて、酔つ払ひ、新聞を路上へうつちやらかして消えてしまつた。
(三)[#「(三)」は縦中横] 碁会所
昔は床屋や銭湯が町内風景の見本のやうになつてゐたが、バリカンの床屋や湯女《ゆな》のゐない銭湯には、もはや町内風景がない。僕の出入する限りでは、碁会所に一番町内風景が漂つてゐるやうである。
僕は京都で一年半「吹雪物語」を書いてゐたとき、いくらか本格的に碁を学び、自分の下宿に碁会所を開かせたりした。
そこは集るのが下手ばかりで、僕など強い方だつた。関西では碁が優勢になると「どうぢやどうぢや」と勇み立つ。ところが頽勢の方の男が一向騒がず「どうぢやは大蛇の首なしぢや」と呟いてゐるのをきいて噴きだしたことがあつた。
ところが東京へ帰つてきて、本郷三丁目の富岡といふ碁会所へ行くやうになつたら、ここでは僕が最も下手な部類であつた。この碁会所は東京で最も強い連中の集るところださうである。大概段をもつてゐる人達だ。
ここの常連にNさんといふ退役海軍大佐がゐる。この碁会所で明らかに僕より弱いのはこの人だけだ。Nさんは四段と打つても僕と打つても常先で打つ。決して置碁を打たない。置けば置くやうに負けるから、置かない方がさつぱりしてゐて気持がいいに極つてゐる。
ところが物のはづみで稀に四段が負けたりするから有頂天になるのである。一年か二年にたつた一度あることだが、それだけが楽しみで毎日打ち、毎日負けてゐるのである。
Nさんは六十|幾《いくつ》だが、気持は青年である。この碁会所は帝大の碁の選手の稽古場になつてゐるが、さういふ若い学生や僕達と酒をのむことが好きである。
近所のおでん屋に眼の青い娘がゐる。N大佐はこれを「スペインの女王」と称して繁々通ふ。通ひ憎いものだから、わざと酒を賭けて碁を打つ。碁を打てば負けるに極つてゐる御人だから、どうしても自分が奢ることになる。この戦略の成功しない怖れがない。そこで早速おでん屋へ駈けつける。
始めのうちは「息子の嫁に恰度《ちょうど》手頃だ」などと息子をとんだ犠牲者にしてせつせと通つてゐた。
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