。老大家のみならず私の如き青二才でもその点では木村名人に同情するにヤブサカであるべき筈はない。
私は何分もうすこしで心臓がつぶれるところであつたのだから、名人戦がこんなにセチガライ性質のものぢやア、どうも心細くなつてきた。然し案ずるに、勝負は本来かくの如きものであるべきで、そこに生存が賭けられてゐる一生の術であり仕事だから、それぐらゐ、当然の筈でもあつた。往年武蔵の真剣勝負、生命を賭けたあの構へが、つまり勝負本来のもの、芸本来の姿なのである。
「然し、君」
と倉島君は言つた。
「君の狙つてゐることはね。こいつは、外れるぜ。名人はもう大人になつてしまつたからな。勝負の鬼といふのは、昔のことだ。今は君、政治家、人格円満な大成会党主だよ」
★
倉島君の言葉の通りであつた。心理の闘争、闘志が人間的に交錯するといふことが、この勝負には完全になかつた。たゞ沈痛な試合であり、まつたく沈黙の勝負であつた。
始まるからといふので倉島君の案内で手合の日本間へ通り、名人と塚田八段に挨拶して座につく。坂田八段をモデルの芝居を上演中の辰巳柳太郎、島田正吾、小夜福子三氏が見学に来てつゞいて座につく。
「では、もう、そろそろ」
と、木村名人。小学校の一年生の徒歩競走の出発のやうなとりとめもない気配のうちに勝負がはじまつてゐる。十時二分。
先手の塚田八段、第一手に十四分考へる。途中で便所へ立つ。木村名人は私達に向つて、あなた方は洋服だし先が長いことだからどうぞお楽に、と言つたりする。
塚田八段七六歩(十四分)木村名人三四歩(三分)間髪を入れず塚田五六歩、木村七分考へて五四歩、それから間髪を入れず二五歩、五五歩、二四歩、同歩、同飛、三二金。
私は碁の大手合は時々見たが、間髪を入れず、といふのはメッタにない。碁の定石《じょうせき》は極めて不定多岐多端だが、将棋の定跡はある点まで絶対のものらしい。然し終盤に及んでからも、四五手間髪を入れず応酬し合つた時があつた。碁の方では分りきつた当りを継ぐのでも四五十秒は考へるやうだ。名人位がひつくりかへるといふ終盤の勝負どころへきて、全く間髪を入れず、スースースーと駒が一本の指に押へられて横へ前へすべつて行く。私は変な気がした。ひどく宿命的なものを感じさせられたからである。名人が駒を動かしてゐるのぢやなしに、駒が自らの必然の宿命を動いて行く。名人の力がその宿命をどうすることもできない。そして名人が名人位から転落しつゝある……私はその時はもう名人の顔を見るのが苦痛であつた。名人はもう駒へ指一本当てておくのが精一ぱいで、駒の方が横へ前へスースー動いてゐたのだ。どうにも仕様がないよ、名人の顔がさう語り、全身の力がくづれてゐた。あれは深夜の一時、二時頃であつたらう。
塚田八段が六分考へて三四飛、横歩を払つた。そのとき、辰巳、島田、小夜氏ら両棋士に別れを告げて立つ。手番の名人盤面から目を放してあたりを見廻し、立上つて三氏のあとを追つた。戻つてきて、
「わからないもんだなア。僕の非常に懇意な医者の家へ泊つてるんだ」
「誰ですか」と塚田八段、
「小夜さん」
十分考へて、名人五二飛、
木村名人は小夜福子に色紙を頼んできたのである。女学生の娘が小夜ファンで欲しがつてるから、喜ぶだらうな、と言つてる。塚田八段が毎日の記者に、私にも、と色紙をたのむ。
塚田八段、五十四分考へて二四飛。指すと同時に、苦笑して、
「ひどい将棋をさしちやつた。三十八手かなんかで負かされちやつた」
と呟いた。この意味は私には分らなかつた。
名人の大長考が始まつたのはその時からで、まもなく正午、休憩となる。両棋士がまづ立ち去ると、記録係の京須五段が私に、
「この手は読売の手合か何かで塚田八段が三十八手で名人に負かされてゐるのです」
と盤へ駒を動かして教へてくれた。塚田八段の二四飛についで、
五六歩、同歩、八八角成、同銀、三三角、二一飛成、八八角成、七七角、八九馬、一一角成、五七桂、五八金左、五六飛、四八金上ル、七九馬、五七金スグ、同馬、四九王、五八金、同金、同馬、三八王、二六歩、二七歩、四八銀まで、三十八手、
この時まではまことにノンビリしたものだ。これから両棋士、まつたく喋らなくなる。芝居の三氏、こんなところを見学したのは全く無意味で、芝居がハネてから、深夜に見学すべきであつた。
★
昼食が終つて、十二時五十分、再開。
名人痰をはきに立つてモーローと戻つてきて盤面を凝視してゐたが、便所へ立つた記録係が戻つてくると、ひよいと顔をあげて、魂のぬけたやうな目附でビックリ見て、それから庭に向つてア、ア、アと大あくびをした。坐り直して盤面にかがむ。
そのとき塚田八段が記録係に、
「芝居の初日つて、いつもたくさんやるのかね」
ときく。初日にたくさんやる、意味が分らないから記録係が返事に困つてゐると、
「初日に行くと、トクだね。いつもだと、三時間ぐらゐ。正味二時間半で帰つてくるからね」
と呟いてゐる。なるほど初日は長くかゝる。長くかゝるから通例人は初日の観劇が厭なんだが、塚田八段は退屈を知らないのかも知れない。ほかの人間が自分とあべこべの考へ方をしてゐようと、気にかけたこともなかつたといふ顔付だ。そして、それつきり、黙つてしまつた。以下深夜、手合の終るまで、喋らなかつたのである。
土居八段がビッコをひきひきMボタンをはめながら「一局碁を観戦してきたんぢやけど却々《なかなか》面白い」大きな声で登場、隣室の間の襖をしめる。隣室には毎日の記者がゐる。襖をしめても、記者を相手に途方もない大声でキイキイ喋りまくつてゐるから、何にもならない。
倉島、三谷両君が昼食後二階で碁を打つてゐる。いづれも僕と互先、文人囲碁会のなじみであるが、まもなく村松梢風さんがやつてきて、将棋の方には顔をださず、二階へあがつて碁を打ちはじめ、これまた僕とは互先で、倉島君がそッと来て、
「村松さんがきたぜ。碁をやらないか」
木村名人四時間十三分の大長考。記録係まで退屈して居なくなり、私がたつた一人。ところが私は退屈ではないのである。三十八手の勝負とどこで違つた手を指すか、どつちが指すか、その時の二人の様子が私は見たくて仕方がない。何かしらが有るだらう。どんな退屈を賭けても、私はその何かしらが見たいのだ。
然し、四時間十三分の大長考、この結果は分りきつてゐるのださうだ。五六歩突き。それにきまつてゐるからその先を先の先まで読んでゐる由、持久戦のつもりなら、こゝでは考へないのださうだ。京須五段も土居八段もさう教へてくれた。
「まだ当分は変らん。一一角成、こゝで変るかな。桂があるから、二四へ打つ。そんな手もあるぢやろ。いろいろと、むつかしいところぢや」
土居八段は満悦の様子である。
「研究に研究を重ねてるんぢや。負けた将棋を、自信がなくては同じ将棋を指しやせん。どこで変るか、今に変る。面白い」
土居八段は珍しい人だ。勝負師の気むづかしさが全然なく、人見知りせず、誰とでも腹蔵なく喋る。好々爺である。
木村名人一門の外はたぶんあらゆる高段棋士が名人の敗北をひそかに期待してゐたであらう。絶対不敗の名人とか実力十一段とか、伝説的な評価が我々素人の有象無象《うぞうむぞう》に軽率に盲信される、自らひそかに恃《たの》むところのある専門棋士には口惜しい筈で、
「名人も高段者も、実力は違やせん。研究ぢや。研究が勝つんぢや」
土居八段は言ひすてたが、
「わしら老人はダメぢや。若い者はよう研究しよる」
塚田八段の深い研究、三十八手といふ異例の負け将棋を名人戦といふ大事の際に買つてでた自信の程が、たのもしくて仕方がないといふ様子であつた。
毎日新聞には速報板がでて加藤八段が解説してゐる由だが、四時間十三分の長考ぢや解説が持ちきれない、一時間半ひきのばし喋つたが後がつづかない、ネタを送れといふ飛電が係の記者にくる由だけども、これは無理だ。記録係まで散歩にたつ、両棋士は動きも喋りもしやしない。
それでも木村名人は十分おきぐらゐに構へが動く。
左手を前へついてグッと盤面へのしかゝり、右手にタバコを持つて頭の高さにマネキ猫みたいにかざしてゐる。
今度は左手を後について、手によりかゝり、あらぬ空間を見つめてタバコをふかす。両膝を立て、それを両手でおさへて、タバコを口にくはへてパクパクやつてる。
すると次に坐り直して、上体をグッと直立、腰をのばし、左手を袂に入れ腰に当て、そのヒヂを張り、右手にタバコを高くかゝげて盤面をにらむ。
庭を眺めて、アクビをしたり、セキバラヒをしたり、急にフラ/\立上つて、ぼんやり庭を見てきたり。
塚田八段は殆どからだを動かさない。概ね膝へ両手をのせ、盤面を見下してゐる。別に気力のこもつた様子ぢやないが、目が疲れてにぶく光り、ショボ/\してゐる。
「どれくらゐ考へたア」
名人がさうきいた。だるさうにタバコをくはへて、かすんだ目で記録係を見た。
「三時間三十三分です」
名人便所へ立ち、戻つてきて、タオルで顔をふき、口の上を押へてゐる。茶をのみ、茶碗を膝の上にだいてる。膝を立て、両手を廻して膝をおさへ、クハヘタバコ、パクパク。坐り直して、袂から左手をさしこみ、腰に当てグッとヒヂを張り、上体直立胸をそらして、
「どれくらゐ考へました」
「二百五十二分です」
そのとき記録員の顔ぢやなしに、頭の上の空間をボンヤリ見て、
「あゝ」
舌つゞみのやうな音を口中に、そして、すぐ指した。五六歩。四時間十三分が終つたのである。塚田八段すぐ同歩。そのとき木村名人、
「考へても……」
何か呟いたが、きゝとれない。そして、すぐ八八角成、同銀、三三角、二一飛成、八八角成、バタバタとまるで夕立に干物《ほしもの》をとりこむ慌たゞしさ。名人茶碗をとりあげて一口のんで、
「その手はどれだけ考へたつて?」
「二百五十三分。計二百七十三分です」
「ウワ」
塚田八段右手をタタミにつき、左手膝の上、盤を見つめて六分、キュッと駒をとりあげて、七七角、打ち終つて、ウウ、セキバラヒ、打たない前と同じ姿勢でジッと盤を見つめる。いつまでたつても見つめてゐる。まだ自分の手番のやうに、眉にシワをよせ、今の手の効果が気がかりで思ひきれない様子であつたが、ふとボンヤリ顔をそらして灰皿のタバコをつゝいて煙を消して、ウ、ウンとセキバラヒをした。その時チラリとあげた目にひどく決意がこもつてゐた。
フーッと息をして、背のびをした。塚田八段の姿勢がそのとき始めて揺れたのである。
木村名人は上体直立、胸をはつて腕組み、口にタバコをくはへて盤上を直視してゐたが、腕組みをといて、フウワリと手がのびて、八九馬。間髪を入れず一一角成、五七桂。打ち終つて木村名人庭を見る。つゞいて、チョッチョッと舌つゞみを打ちながら、部屋のあちこちを見廻す。その目は腫れたモーローたる目である。
塚田八段十分考へて、五八金左。すぐ五六飛、六八桂、三分考へて四九桂成、同王、五八飛成、同王、六二王。
例の夕立に干物のバタバタバタで、私のかねての狙ひ、どこで手が変るか、その手が変つてゐたのだが、私にはそれが分らぬ。私は手を見てゐるのぢやなしに、打つ人の顔を見て、顔で判断してゐるのだが、劇的な何物もなく、たゞバタバタバタの一瀉千里、片がついてゐたのだ。五六飛の次、二十七手目、六八桂で変つてゐた。
私は将棋が分らないから、どこで変るか、そんな見世物みたいの興味で見てゐるほかに手がないのである。加藤八投の解説によると、六八桂、今までにある手、当然の指し手で、三十八手負けの塚田八段の指し手がひどすぎたのださうだ。こつちはさうとは知らないから、どこで変るか、ウノ目夕カノ目、面白づくで打ち込んでゐて、バカを見た。
塚田八段の長考がはじまる。ちやうど三十分すぎたとき、木村名人が記録員に、
「相撲へ行つたかい」
「ハア?」
「相撲へ行つた」
「いゝえ」
そこで、とぎれる。名人膝をたて、手をまはして膝を抱へ
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