のあるこの村と、愛けうのある人々に甚大の好意を寄せてゐたので、もつとも素ぼくな、一種の宗教的衝動に基いてお辞儀に及んだと想定していただきたい。にやにやするのは私の悪癖で、神様の前でも、つひ笑ひだしてしまふのである。
 ブルドックのやうに絶倫な精力をたたえた伯爵御母堂は、むろん会釈も返さずに、悠々と行き過ぎてしまはれたのである。
 その頃、村の評判はもう大変であつた。偽物だといふ者もあれば、まさかと打ち消す人々も多い。威厳があるといふ人もある。甲論乙駁。思ひ案じて私の表情をうかゞふ人も多かつた。私はスフィンクスの無言と微笑をたゝえて、その間にゆう[#「ゆう」に傍点]玄な生活をしたことはいふまでもない。
 ところが伯爵母堂は逐電した。ある朝、散歩に出かけたまゝ、戻らなかつた。乗合自動車で軽便鉄道の終点へ行き、ちよつと買物に来たやうなことを自動車の運転手にもらしておいて、実は東京へ逃れたらしい。もちろんつかまる当《あて》はない。
 宿へ荷物を置き残したが、開けてみると全くガラクタがつめてあつた。それを又見やうといふので、宿の客、村の男、女、みんなわいわい集まつてくる。品物の一つ一つに批評する、笑ひがあがる。騒々しい。私も見物に行つたが、一同なるべく遠方からのぞきこむやうにして、却々《なかなか》近寄らうとしない。口だけは達者であつた。とうから偽物と見破つてゐたやうなことを口々にいひ強めてゐるのだが、宿の亭主ばかりはひどいしよげやうで、とんだ災難だとつぶやいてゐた。
 乗合自動車の休憩時間に、逃亡を目撃した運転手は暇な人々に取り囲まれて同じ話を連日繰返してゐる。この聴き手がなくなる時、この噂も消えるのであらう。
 その頃、供《とも》も連《つれ》もない美貌の湯治客があらわれた。二十七八であらう。ちよつと都会風で、明るくかつ健康さうだつた。
 宿の湯は男女混浴なので、私もこの女の裸体を見たが、すらりとして、はちきれさうな光沢があつた。病気か遊山か、全く人々に見当がつかない。連もないのに、長とう[#「とう」に傍点]留するらしい。
 私がこの宿を立ち去る頃、そのことが、大変な問題になりかけてゐた。山奥にも、年中何かしら事件があるらしい。



底本:「坂口安吾全集 01」筑摩書房
   1999(平成11)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「帝国大学新聞」
   1933(昭和
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