言いきっているのです。粗野で、狂暴で、テンカン持ちのように発作的な激情家で、呑んだくれですけど、その魂には澄みわたった光がこもっているのです。日本も、そして全てのものを捨てゝ、満洲へ、あの人のところへ、とんで行きたくなることがあります。あの方の胸には清らかな光が宿っているから」
あなたの胸には、それがない。光もなければ、夢もない、陰鬱な退屈と、悪意の眼があるばかりである。そう語っているのであろうが、なにを、甘ッちょろい、私の心は波立ちもせず、退屈しきっているのみだ。
然し、甘くない何物もある筈はない。存外にも、甘そうな見かけの物に、甚だ甘からざる何かゞあるもので、恋をする女の心、その眼の深さ冷めたさ鋭さは、表面の甘っちょろい反射本能的な言動などとは比較にならぬものがあるようだ。
たとえばあの人は、私のことを、あなたは天才だからなどと言いながら、そんな見方に定着しない意地悪い鋭さで、無慙に現実的な観察を私の全部に行きとゞかせていたのだ。
たとえば、私の無能力ということ、貧困ということ、世に容れられぬ天才の不遇などという甘い見方とは露交わらぬ冷酷な目で、私の今いる無能力と貧困の実相をきびしく見つめていた。
ありていに云えば、正体はむしろこうであったろう。
あの人の本心が私のことをあなたは天才だからと云っているのではなく、私の虚栄深い企みの心が、オレは天才だから不遇で貧乏で怠け者なんだ、そうあの人に言わせようとしていたのだ。あの人はその私の虚栄のカラクリの不潔さに堪えがたいものがあったのだ。
私は年が代ると、すぐ、松の内のすぎたばかりの頃であった思いがするが、母の住む家をでて、本郷のKホテルの屋根裏へ引越した。
このホテルは戦災で焼けたということであるが、明治時代の古い木造の洋風三階建で、その上に三畳ぐらいの時計塔のようなものが頭をだしていた。私が借りて住んだのは、この時計塔であった。特別の細い階段を上るのだ。風が吹くと今にももぎれて落ちそうに揺れるから、風のおさまるまで友人の家へ避難するというような塔であった。
私には母と一しょの日本の古い家という陰惨な生活がたえられなかったのであるが、も一つの大きな理由は、別れた女がくるかも知れぬ。その女に逢ってしまうと、私はまたズルズルと古いクサレ縁へひきこまれるに相違ないという予感があった。
なぜなら、私は矢田津世子に再会した一週ほどの後には、二人のツナガリはその激しい愛情を打ち開けあったというだけで、それ以上どうすることもできないらしいということを感じはじめていたからであった。
矢田津世子は、別れた女の人に悪いじゃないの、と言うのであった。そんな義理人情、私はさりげなく返答をにごしているが、肚では意地悪くあの人の言葉の裏の何ものかを見すくめて、軽蔑しきっている。
又Oさんに悪いから。Oさんは自殺するから、と言った。あの人と女流作家のOさんは友人以上に愛人であった。あの人と私のことが判ると、Oさんは自殺するであろう、というのだ。もとより私はそんな言葉は信じていない。
私は時計塔の殺風景な三畳に、非常に部屋に不似合いに坐っている常識的で根は良妻型の有名な女流作家を見て見ぬようにヒソヒソと見すくめている。
この女流作家が怖れているのは、私の別れた女への義理人情や、同性愛の愛人へのイタワリなどである筈はない。
この女流作家の凡庸な良識が最も怖れているのは、私の貧困、私の無能力ということなのだ。殺風景なこの時計塔と、そこに猿のように住む私の現実を怖れているのだ。
彼女は私の才能をあるいは信じているかも知れぬ。又、宿命的な何かによって、狂気にちかい恋心をたしかに私にいだいているかも知れない。
然し、彼女をひきとめている力がある。彼女の真実の眼も心も、私のすむこの現実に定着して、それが実際の評価の規準となっている。彼女は叫んだ。
「私は女流作家然とみすぼらしい虚名なんかに安んじて、日本なんかに、オダテラレ、甘やかされて、いゝ気になっていたいなどゝ思ってはいないんです」
そして、日本も、又、すべてのものを捨てゝ、満洲へ行ってしまいたいのだ、という。
嘘だ。大嘘、マッカな嘘である。
私は冷めたく考えた。事実、私は卑屈そのものでもあった。彼女の心は語っている。私の貧困と、私の無能力が、みすぼらしくて不潔だ、と。よろしい。私は卑屈に、うけいれる。じっさい、私は不潔で、みすぼらしい魂の人間なんだ。然し、そういうあなたの本心はどうだ。あなたこそ、小さな虚しい盛名に縋りついているんじゃないか。その盛名が生きがいなんだ。虚栄なんだ。見栄なんだ。その虚栄が、恋心にも拘らず、私の現実を承認できないのじゃないか。
名声も、日本も、すべてを捨てゝ、満洲へ去りたいなどゝ虚栄児にも時には孤独者の夢想ぐらいはあるだろう。
だが、すべては、私のワガママであったと思う。私は卑屈であり、卑劣であったが、思い上っていたのである。
私があるとき談話の中で「女」という言葉を使ったとき、「女の人」と仰有い、とあなたは言った。私はヘドモドして、えゝ、ハア、女の人、うわずって言い直して、あやまったりしたが、私は然し、口惜しさで、あなたを軽蔑しきっていた。
つまり私が、知り合いのさる女人をさして、その女が、と云った。すると矢田津世子は、その女の人と仰有い、と言うのだ。私の言葉づかいは粗暴無礼であるが、その女が、その女の人に変ったところで、その上品が何ものだというのであろう。
イヤらしい通俗性、イヤらしい虚栄、それがあなたのマガイのない姿なのだ。そしてそれが、単に虚名をもたないばかりで、時計塔の住人を猿のようなミジメなものに考えさせているのだ。
私は然し、その後の数年、物を書くとき、気がゝりで困ったものだ。その女、ではいけなくて、その女の人でなければならぬような、デリカシイのない言葉づかいをウッカリやらかしていないかと気がゝりで困ったのだ。
そして私は、あさましいことに、女という字を書くたびにウッとつかえて、わざわざ女の人と書き直したことが何度あったかわからない。
私はそれだけの人間でもあるのだ。なぜそれだけの人間として、矢田津世子の凡庸な虚栄につゝましく対処し、うけいれることが出来なかったのだろう。
私はつまり思いあがっていたのだ。
★
当時を追憶して私が思うことは、私はあれほどの狂気のような恋をした。然し、恋愛とは狂気なものではあるが、純粋なものではない、ということに就てだ。狂気とか、狂人という、いわば一つを思いつめた世界も、それを純一に思いつめたせいではなく、思いつめ方に複雑で不純な歪みがあり、その歪みが結局、狂気の特質ではないかと私は思ったほどである。つまり、人間を狂気にするものは、人間の不純さであるかも知れぬ、というワケになろう。
然し、狂気の恋愛は、純粋なものと思われ易い。私とても、それを一応純粋なものと思うのは普通であり、すくなくとも、その狂的な劇しさに於て、これを純粋とよぶことは有りうべきことである。つまり情熱のみの問題としては、一応純粋と言うべきであろう。
我々は概ね七八歳前後の幼年期に、年長の婦人に強い思慕をよせがちであるが、これは動物的なもので、だからそのために神経衰弱になるような人間的性格をともなわないものである。
成年の恋愛は人間のものである。情熱の高さのみが純粋であっても、人間が、純粋である筈はあり得ない。
私は然し、当時に於ては、情熱が高ければ純粋なものだ、という考え方を捨てるだけの経験がなかった。だから自己の不純さについて多くの苦しみを重ねもしたし、反面、情熱の高さ劇しさに依存して、それを一途にまもることにも苦心した。その一々を思いだしてみることは、何の役にも立たないだろう。
今さら矢田津世子に再会したことがいけなかったのだ。私はあの人に会いたいと思いつゞけていた。然し、会わない方がいゝ、会ってはいけないという考えもあった。なぜであるか、当時の私にはシカと正体のつかみがたい不安と怖れであったが、それが正しかったのである。
あの人と会わない三年間に、あの人は私にとって、実在するあの人ではなくなっていた。
私は「いづこへ」の女と一緒にくらした二年ちかいあいだ、女と別れること、むしろ逃げることばかり考えていた。そのくせ、このまま、身を捨て、世を捨てる、なぜそれが出来ないのかとも考えた。
私はたぶん、あのころは、何のために生きているのか知らなかったに相違ない。自殺とか、世を捨てるとか、そんなことを思う時間も多かった。そして私を漠然と生きさせ、生きぬこうとさせた力の主要なものは、たぶん「勝敗」ということ、勝ちたいということ、であったと私は思う。
勝利とは、何ものであろうか。各人各様であるが、正しい答えは、各人各様でないところに在るらしい。
たとえば、将棋指しは名人になることが勝利であると云うであろう。力士は横綱になることだと云うであろう。そこには世俗的な勝利の限界がハッキリしているけれども、そこには勝利というものはない。私自身にしたところで、人は私を流行作家というけれども、流行作家という事実が私に与えるものは、そこには俗世の勝利感すら実在しないということであった。
人間の慾は常に無い物ねだりである。そして、勝利も同じことだ。真実の勝利は、現実に所有しないものに向って祈求されているだけのことだ。そして、勝利の有り得ざる理をさとり、敗北自体に充足をもとめる境地にも、やっぱり勝利はない筈である。
けれども、私は勝ちたいと思った。負けられぬと思った。何事に、何物に、であるか、私は知らない。負けられぬ、勝ちたい、ということは、世俗的な焦りであっても、私の場合は、同時に、そしてより多く、動物的な生命慾そのものに外ならなかったのだから。
私は「いづこへ」の女が夜の遊びをもとめる時に、時々逆上して怒った。
「君はそのために生きているのか! そのためにオレが必要なのか!」
私にとって、私がそのことを怒るべき時期であったに相違ない。あの女とは限らない。どの女であるにしても、その事柄を怒らずにいられない時期であったと思う。
私は女の生理を呪った。女の情慾を汚らしいものだと思った。その私は、女以上に色好みで、汚らしい慾情に憑かれており、金を握れば遊里へとび、わざ/\遠い田舎町まで宿場女郎を買いに行ったりしていたのである。
私はこうして女の情慾に逆上的な怒りを燃やすたびに、神聖なものとして、一つだけ特別な女、矢田津世子のことを思いだしていた。もとより、それはバカげたことだ。もとより当時からそのバカらしさは気付いていたが、そうせずにいられなかっただけである。
一つの女体としての矢田津世子が、他のあらゆる女体と同じだけの汚らしさ悲しさにみちたものであることを、当時の私といえども知らぬ筈はない。それどころか、女の情慾の汚らしさに逆上的な怒りを燃やすたびに、私はむしろ痛切に、矢田津世子がそれと同じものであることを痛く苦く納得させられ、その女の女体から矢田津世子の女体を教えられているのであった。
それにも拘らず、逆上的な怒りのたびに、矢田津世子の同じ女体を、一つ特別な神聖なものとして思いだしてもいるのだ。
その矢田津世子は、私のあみだした生存の原理、魔術のカラクリであったのだろう。世に容れられず、といえば大きすぎるが、世に拗ね、人に隠れ、希望を失い、自信を失い、何がために生きるか目安を失い果てゝいる私は、私の生命の火となるものを魔術のカラクリに托す以外に仕方がなかったであろう。
それがカラクリであるにしても、ともかく、その二年間、私は矢田津世子によって生きていた。それを生命の火としていた。そのバカらしさを知りながら、その夢に寄生していたのである。
★
矢田津世子と再会して、混乱の時期が収ったとき、私の目に定着して、ゆるぎも見せぬ正体をあらわしたのは、矢田津世子の女体であった。その苦しさに、私は呻いた。
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