とも考えた。
 私はたぶん、あのころは、何のために生きているのか知らなかったに相違ない。自殺とか、世を捨てるとか、そんなことを思う時間も多かった。そして私を漠然と生きさせ、生きぬこうとさせた力の主要なものは、たぶん「勝敗」ということ、勝ちたいということ、であったと私は思う。
 勝利とは、何ものであろうか。各人各様であるが、正しい答えは、各人各様でないところに在るらしい。
 たとえば、将棋指しは名人になることが勝利であると云うであろう。力士は横綱になることだと云うであろう。そこには世俗的な勝利の限界がハッキリしているけれども、そこには勝利というものはない。私自身にしたところで、人は私を流行作家というけれども、流行作家という事実が私に与えるものは、そこには俗世の勝利感すら実在しないということであった。
 人間の慾は常に無い物ねだりである。そして、勝利も同じことだ。真実の勝利は、現実に所有しないものに向って祈求されているだけのことだ。そして、勝利の有り得ざる理をさとり、敗北自体に充足をもとめる境地にも、やっぱり勝利はない筈である。
 けれども、私は勝ちたいと思った。負けられぬと思った。何事に
前へ 次へ
全34ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング