だけは一週間ぐらいで再建する、国民共は米も魚も拝んだことがないのに、農村から敬々《うやうや》しく献上米が殺到する、これ皆々今日璽光様の身辺に行われていることゝ変りはない。
つまり日本全体が八紘一宇教という邪教徒であったわけで、教祖の東条尊者と璽光様も殆んど甲乙はない。御両者ながら自らの邪教性についてはとんと御反省の素質が欠けており、英雄のつもり、神様のつもりでいらっしゃる。
今度『朕』という奇妙な言葉がなくなったのは当り前のこと、朕だの天皇服、皇后服などと天皇というものが特別な人柄であるような何かゞ残っている限り、天皇自らが国民的邪教の教祖たる性格をとゞめていることを意味している。
大正年間、僕が小学校のころは、朕という言葉は子供のたわむれの言葉でいわばそんな奇妙な言葉があるために天皇が子供たちの悪フザケに恰好の遊び道具となったようなものだった。実質の伴わない架空な威厳、形式的な威厳によっては人は心服するはずはなく、あべこべに戯画となり、子供の遊び道具となる。つまり朕だの天皇服などゝいうものは、璽光様の御尊厳と同じ性格のものなのである。
天皇は国民のアコガレなどとは苦しいコジツ
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