識だから落第に間違ひないと思つてゐたら、何百人ものうちたつた一人及第したといふのには呆れかへつた。
 数年すぎて同じ社の佐藤観次郎氏にあつたとき、高木の妹のことを尋ねると、彼は目をパチ/\させて吃驚《びっくり》して、
「あの人は僕の社内無二の親友です」
 彼はそれを語ることが最も楽しいといふ様子であつた。無邪気そのものの弾みのある言葉で、純潔の少年の輝きがあつた。私はひどく好ましいものを感じた。
 この正月のことである。私は元旦に中村地平氏の家へ行き雑煮を食べる約束であつた。それから地平さんと真杉さんと私とで藤井のをばさんの所へ行き大いに遊ぶ筈であつた。私は生憎ある友達が精神異状で行方不明になり探し廻らねばならなかつたりして松の内も終る頃やうやく地平さんの所へ行つた。
 地平さん真杉さんは、正月藤井のをばさんの家で高木の妹に紹介されたといふのである。
「あの人は十八九ですか」
 地平さんは私に訊く。私は忘れてゐた昔を歴々思ひだし、成程と思つた。
「あつはつは。今でもそんな齢に見えますか。もう三十ぐらゐです」
「わあ。驚いたなあ」
「あら、羨しい。ずゐぶん得な方ですわね」
 と真杉さんも感に打たれてゐる。同性の小説家もやつぱり十八九だと思つたさうだ。

 私は近頃|切支丹《キリシタン》の書物ばかり読んでゐる。小田原へ引越す匆々《そうそう》三好達治さんにすゝめられて、シドチに関する文献を数冊読んだ。それから切支丹が病みつきになり、手当り次第切支丹の本ばかり読む。パヂェスの武骨極まる飜訳でもうんざりするどころか面白くて堪らないのである。
 文献を通じて私にせまる殉教の血や潜伏や潜入の押花のやうな情熱は、私の安易な常識的な考へ方とは違ふものを感じさせ、やがて私は何か書かずにゐられないと思ふけれども、今は高潔な異国に上陸したばかりのやうで、何も言ふことが出来ないのである。
 内藤ジュリヤ。京極マリヤ。細川ガラシャ。ジュリヤおたあ。死をもつて迫られて尚主を棄てなかつた婦人達。私の安易な婦人観とはだいぶん違つた人達であつた。私には、これらの婦人と現実の婦人たちとの関聯や類似がはつきりしない。どういふ顔をしてゐただらうか。日常の弛んだ心にも主の外に棲むことはできなかつたのだらうか。そして肉体の中にも?――私には分らないのである。この現実とつなぎ合せる手がかりが見当らない有様である。
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