ても満ち足ることがないことを確信したといふのだらう。私はつまり、私の魂が満ち足ることを欲しない建前となつただけだ。
そんなことを考へながら、私は然し、犬ころのやうに女の肉体を慕ふのだつた。私の心はただ貪慾な鬼であつた。いつも、ただ、かう呟いてゐた。どうして、なにもかも、かう、退屈なんだ。なんて、やりきれない虚しさだらう、と。
私はあるとき女と温泉へ行つた。
海岸へ散歩にでると、その日は物凄い荒れ海だつた。女は跣足《はだし》になり、波のひくまを潜つて貝殻をひろつてゐる。女は大胆で敏活だつた。波の呼吸をのみこんで、海を征服してゐるやうな奔放な動きであつた。私はその新鮮さに目を打たれ、どこかで、時々、思ひがけなく現はれてくる見知らぬ姿態のあざやかさを貪り眺めてゐたが、私はふと、大きな、身の丈の何倍もある波が起つて、やにはに女の姿が呑みこまれ、消えてしまつたのを見た。私はその瞬間、やにはに起つた波が海をかくし、空の半分をかくしたやうな、暗い、大きなうねりを見た。私は思はず、心に叫びをあげた。
それは私の一瞬の幻覚だつた。空はもうはれてゐた。女はまだ波のひくまをくぐつて、駈け廻つている。
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