どは二の次に白状させるという習慣が厳存しているのだから、名探偵登場の余地がなかったのも尤もな次第であった。
私は然し探偵小説を愛好するのはその推理に於てで、従って、私は探偵小説をゲームと解している。作者と読者の智恵比べ、ゲームというように。
だから専門の知識を必要としなければ謎の解けないような作品は上等品とは思われないので、たとえばある毒薬の特別の性質が鍵である場合には、その特質をちゃんと与えておいて、それでも尚、読者と智恵を競い得るだけの用意がなければならぬと考える。
だから殺人の方法などは、短刀で刺す、ピストルで打つ、なぐり殺す、しめ殺す、毒殺する、なるべく単純であるべきで、謎は殺し方の複雑さなどにあるのじゃなくて、アリバイにある。又、犯人でありうる多様な人物を組み合せて、そのいずれもが疑惑を晴らし得ないような条件を設定するというようなところに主として手腕を要するのじゃないかと思う。
そして愈※[#二の字点、1−2−22]解決となった際、特に殺人の動機が読者を納得せしめなければ、作品は落第だ。又、その動機も隠されていたのでは話の外で、あらかじめ、読者に与えられているものでなければならない。
私は以上のようなことをゲームのルールとして探偵小説を読むものだから、この見方で最上級の作家と見られるのはアガサ・クリスチイ、次にヴァン・ダイン、次にクイーンというような順で、クリスチイは諸作概して全部フェアであり、ヴァン・ダインでは、「グリーン家」が頭抜けており、クイーンでは「Yの悲劇」が彼の作なら(江戸川氏からおうかがいした)これは探偵小説史の最高峰たる名作だ。その他では「観光船殺人事件」、古い物では「黄色の部屋」や「ルコック探偵」などは忘れ難いものだろう。
私は目下横溝氏の「獄門島」を愛読しているが、我々読者の休養のひとときに愉しいゲームを与えてくれる名作の続々たる登場を希望してやまない。
私自身もそのうち一つだけ探偵小説を書くつもりで、その節は大いに愛好者諸氏とゲームを戦わすつもりである。戦争中考えていたので、八人も人が死ぬので、長くなるので却々時間がなくて書きだす機会がない。そして私はあいにくこの一つだけしかゲームの種を持ち合していない。その節は私の方から読者に賞品を賭けましょう。
底本:「坂口安吾選集 第八巻小説8」講談社
1982(昭和5
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