ことではない。仕事には全力を賭けること、これは仕事というもの、つまり生きることを真に理解するものには当然のこと、むしろ、生のほかに死後というものを考える人の方に、生きることの全的な没入や努力は分らないのだろうと思う。生きること、全我を賭けて努力し生きることを知るものには、死後はないと私は思う。
告別式の盛儀などを考えるのは、生き方の貧困のあらわれにすぎず、貧困な虚礼にすぎないのだろう。もっとも、そういうことに、こだわることも、あるいは、無意味かも知れない。
私が人の葬儀に出席しないというのは、こだわるからでなく、全然そんなことが念頭にないからで、吾関せず、それだけのことにすぎない。
もっとも、法要というようなものは、ひとつのたのしい酒席という意味で、よろしいと思っている。
私の死後でも、後始末が終ってのちに、知友に集ってもらって、盛大に飲んでもらって、私が化けてでて酩酊することができるぐらいドンチャン騒ぎをやらかして貰うのは、これは空想しても、たのしい。
私は家人(これは女房ではなくて、愛人である)に言い渡してあるのである。私が死んだら、あなた一人で私の葬式をやり骨の始末をつけなさい。そのあとに、知友に死去を披露して、ドンチャンのバカ騒ぎを一晩やりなさい。あとは誰かと恋をしてたのしく生きて下さい。遺産はみんな差しあげます。お墓なんか、いりません。
坊主のお経だの、焼香だのと、あんなタイクツ千万なものはありやしない。生きている私は、とてもあんなタイクツなことに堪えられないが、死んでユーレイになってもタイクツでたえられないに相違なく、そんなことをやられたら、私は坊主の頭をポエンとやって、焼香の友人の鼻をねじあげてやる。
底本:「坂口安吾全集 06」筑摩書房
1998(平成10)年7月20日初版第1刷発行
底本の親本:「風雪 第二巻第六号」
1948(昭和23)年6月1日発行
初出:「風雪 第二巻第六号」
1948(昭和23)年6月1日発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2007年7月24日作成
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