きちがへてゐる場合が多い。自由とは責任がそれに伴なはねばならぬ、といふこと、これは今日|屡々《しばしば》言はれることであるが、かういふふうに一言にして言ふことは易いが、真に自由の中に責任を自覚するには、深い教養を必要とするものである。
自由は地獄の門をくぐる。不安、懊悩、悲痛、慟哭に立たされてゐるものである。すべて自らの責任に於てなされるものだからである。人が真実大いなる限定を、大いなる不自由を見出すのも、自由の中に於てである。自由は必ず地獄の中をさまよひ、遂に天国へ到り得ぬ悲しい魂に充たされてゐる。
昔から自由と自由人は絶えたことがない。文学がさうだ。宗教も哲学もさうであつた。封建思想は旧式だと、一言で片附けるのは間違ひで、自由に対する絶望が、凡夫の秩序を自ら不自由に限定せしめるやうに作用した歴史の長い足跡があつたのだ。そしてかかる日本の封建思想を完成せしめた孔子は実に自由人であり、永遠の現代人であり、而《しこう》して彼の現身《うつしみ》は保守家ではなく、反逆者であつた。彼は自由を闘つた反逆者だ。
キリストもまたさうである。彼は反逆者であつた。ハリツケにかけられた罪人だつた。そして最も偉大なる自由人であり、永遠の現代人であつた。
真実の自由、自由人は常に反逆人たらざるを得ないものである。今日、キリストを、孔子を、現世へ再生せしめて、その幼少から生長の道を歩ませたなら、彼らは神ならず、聖人ならず、反逆者であり、罪人であり、世を拗ねた一人よがりの馬鹿者、気違ひであるであらう。
自由人の宿命は、彼等ほど偉大ではあり得なくとも、多かれ少かれ、似た道を辿らざるを得ないものだ。なぜなら、自由は常に天国を目差しながら、地獄の門をくぐり、地獄をさまよふものだからである。
文学が、さういふものの一つなのだ。自由人の哀れみじめの爪の跡、地獄の遍歴の血の爪の跡、悲しい反逆の足跡だ。
お前の文学は何か? お前は誰? と聞かれたら、私は、いささか、はにかみながら、然し、少し威張つて、かう答へる。私はまアできそこなひの、その上本物よりも大いにエロな、子路《しろ》だ、と。つまり猪八戒《ちよはつかい》と子路の合ひの子なので、猪八戒の勢力範囲が旺勢だから、天竺《てんじく》へ辿りつかずに、あつちの女の子に目尻を下げ、こつちの女の子の手を握り、あべこべに縛りあげられて、助けてくれ、と泣いてばかりゐる。目下、ゴビの沙漠を辿つてゐる最中なのである。
ラ・マンチャの紳士ドン・キホーテ先生といひたいけれども、これもサンチョ・パンザとの合ひの子で、サンチョの勢力範囲の方が旺盛だから、一向に騎士的精神によつて勇み立ち槍をふりまはすといふやうな崇高なところがでてこない。
私は然し、実際、私は猪八戒だといふところが正当な評価だらうと考へてゐるのだ。猪八戒はヘタくそな忍術を使ふ。デレンデレンと九字を切ると、本人は見事に化けてゐるつもりだけれども、身体だけ美人に化けて、顔は例の助平豚だといふ始末である。このできそこなひの忍術が、つまり私の小説だ。私もまた、できそこなひの忍術使ひなのである。
いつたい、猪八戒自体は天竺へ行くつもりであつたのか。桃太郎の犬だの猿は、ともかく鬼退治にお伴しようといふ意志をもつてゐたやうだ。ところが、猪八戒の方は怪しいもので、彼の旅行目的たるや至極曖昧模糊としてをり、彼の人生の目的たるや私には分らない。同じ疑問を私に差し向けられると私は切ない。なぜといつて、沙漠だの荒野だの深山の旅ですら、猪八戒はあんなに多くの女怪にぶつかつてゐるではないか。私は東京といふ天下|名題《なだい》の人間だらけの町に住んでゐるのだから。
猪八戒はともかく天竺へ辿りついて法名だか何だか貰つたけれども、私がどこへ辿りつくか、危いものだ。天竺へ行かないうちに、女怪に縛りあげられて往生するのが落であらうか。私は、すこし、忍術の稽古をしよう。せめて豚のシッポが、かくれるぐらゐ。私たりとも、縛られて、助けてくれと泣きたくはないからである。ほんまに、さうや。御退屈さま。
底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「夕刊新大阪 第四六九号〜四七一号」
1947(昭和22)年5月26日〜28日
初出:「夕刊新大阪 第四六九号〜四七一号」
1947(昭和22)年5月26日〜28日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年1月19日作成
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