れども、戦争中の約三年間、ほかにすることがなくなって、毎日碁会所へ入りびたり、僕のすむ蒲田というところは乱戦の勇士ぞろいの行儀の悪い力持ちの碁打ちばかりそろったところで、軍需会社の職工に一級二級ぐらいの打ち手は相当いるが、腕ッ節専門の立廻り派ばかり、そういう人々と三年間立廻りに耽っていたから、僕はもう布石も序盤もない。人の石を殺しに行くことしか知らない行儀の悪い碁になってしまった。むかしは、もうチョット、上品であった。
 僕はこの春、文人囲碁で一日碁を打ったことがあるほかにはこのまる一年半、ゆっくりした気持ちで石を握ったことはないのである。
 尤もこの春ひどく疲れて豊島与志雄さんを訪ねて十番碁をやり常先に打ちこまれ、国府津《こうづ》で泥酔して尾崎一雄とやって互先に打ちこまれ、勝ったのは村松梢風さんにだけ。全然意気があがらなくなってしまった。
 むかしは碁の素性もいくらか良かったけれども、腕ッ節もたしかにもっと強かった筈で、ちかごろの弱腕、まことに残念千万である。時々、頭を休める一二時間に碁石を握れるような環境があるといいが、ともかく、ボツボツ暇々に練習をつんで、もうチョット恥をかかずに
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