り、アイツはウルサイぞ、ということになっているのである。
そんなわけで、共産党文学青年の総反撃をうけるまでは、私の巷談は坦々と物静かな道を歩いていたのであった。
私を「巷談師」とよんだのは、冒頭に録した一共産党青年のハガキで、私自身の命名ではない。私はしかしこの呼称を愛している。なんとなく私にふさわしいような気持だからである。
今年は巷談師であるが、去年までは観戦屋であった。
観戦屋というのは、よろず勝負ごとを見物して、観戦記をかく商売である。これに似たのに、覆面子とか北斗星とかノレンの古い老練家がいるが、彼らは私とちがって、ダテや酔狂(ヤジウマ根性ということ)で観戦記をかいているわけではなく、腕に覚えの特技によって心眼するどく秘奥を説く人々である。観戦士というべし。私のは、ハッキリ、観戦屋。
私は腕に覚えがない。だから、よろず勝負ごと、顧客のもとめに応じて好みのものを観戦する。将棋名人戦、本因坊戦、スポーツ万端、よろず、やる。
私は将棋の駒の動き方を知ってるだけだ。いつか読んだ将棋雑誌の某八段の説によると、こういうのを六十二級というのだそうだ。唯識《ユイシキ》三年|倶舎《クシャ》七年と云って、坊主が倶舎論を会得するには七年かかるそうであるが、これは人間の意識を七十五の名目に分類し、分類が微細にすぎてチットモわからず、七年かかることになっている。
将棋の方は、六十二級の上に九段があって、合計七十一。倶舎論に四ツ足りない。名目だけでも、将棋はすでに難解である。
私はそのドンジリ、六十二級というのに位置している。上位の七十の名目は、むなしく望見するだけで、まったく会得することが不可能であり、又の名を「三歩」というのだそうである。
六十二級を碁の場合に当てはめると、初段に六十二目おくことになる。そんな碁はない。しかし、ありうるのだ。勝負ごとの初心者ぐらい哀れなものはない。心眼をとぎすましても、わからない。心眼の持ちくされだから、私のような心眼の徒は、いたずらに心眼の曇ることもなく、ただ悲しまねばならない。
だから六十二級の私が名人戦の観戦記をかくと、心眼が復讐しているようなものだ。将棋は見ていても、分りッこない。勝負だけがわかる。そして、それを見る。
つまり、仇討ちの見物人に分るのは、仇討のイワレ、インネン、双方のイデタチ、武者ぶりの観察からはじまっ
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