ているらしい。長文の手紙の作者は必殺の文字に自信があるから、悠々敬称をつけてくれる。
長文の手紙に何が書いてあるかというと、私の作品(主として堕落論)の批評が主であるが、中には私の作品の半数ぐらい読んでいて、一々槍玉にあげているのもある。そして、前者(堕落論その他ごく一部分の作品をとりあげて縦横に論破したもの)はいくぶん冷静で、あくまで論理によって巷談師の息の根をとめようとする気品をうかごうことができるが、後者(半数以上の作品を槍玉にあげているもの)は一時あやまって私の作品を愛読したことがあり、はからざる裏切り行為に逆上、可愛さあまって憎さが百倍という噴火山的な気魄と焦躁が横溢しているが、末尾に至って突然怪しく冷静となり、貴様(又はお前)はやがて人民裁判によって裁かれるであろう、その日は近づいている、などとひややかな予言によって手紙をむすんでいるのが普通である。
しかし、人民の怨嗟はお前にかかっている、と断じているのが二通あったのはうなずけない。あやまって吉田首相に与える言葉で間にあわせたものと思うが、あるいは、共産党では、最大級の悪漢に浴せる公式用語がこれだけなのかも知れない。たかが巷談師に向って、人民の怨嗟は大きすぎると思うが、こう言われてみると、私の筆力にヒットラーの妖怪味がはらまれているようにも幻想し、まんざらでもない気持にさせられたのである。
「野坂中尉と中西伍長」は三月号にのったのだから、二月半ばの発売で、当然そのころ以上の文書が殺到すべき筈であるが、実は、この過半数が五月末日―六月に至ってまとめて殺到したのであった。このイワレは当分わからなかった。
ところが、たまたま一通のハガキによって、この謎をとくことができた。このハガキは文藝春秋新社気付でいったん東京へ送られ、転送されて、おそくついたから、謎の発見がおくれたのである。
貴殿の「野坂中尉と中西伍長」に感激したから、他の論文の出版社を至急教えてくれ、というハガキであった。ユイショある流儀を感じさせる達筆だ。我々から見て、文字に二つの区別がある。文学を愛好する者の筆蹟と、そうでないものの二つである。弟子入りや共産党の手紙は中途半端で分類以前の筆蹟であるが、つまり彼らは筆蹟的にも未成品であることを示している。
このときのハガキは、そうでない筆蹟の中でも特にそうでない達筆で、年齢は四十以上であるこ
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