に涙の宿ったのは始めてのことでした。女の顔にはもはや怒りは消えていました。つれなさを恨《うら》む切なさのみが溢《あふ》れていました。
「だってお前は都でなきゃ住むことができないのだろう。俺は山でなきゃ住んでいられないのだ」
「私はお前と一緒でなきゃ生きていられないのだよ。私の思いがお前には分らないのかねえ」
「でも俺は山でなきゃ住んでいられないのだぜ」
「だから、お前が山へ帰るなら、私も一緒に山へ帰るよ。私はたとえ一日でもお前と離れて生きていられないのだもの」
 女の目は涙にぬれていました。男の胸に顔を押しあてて熱い涙をながしました。涙の熱さは男の胸にしみました。
 たしかに、女は男なしでは生きられなくなっていました。新しい首は女のいのちでした。そしてその首を女のためにもたらす者は彼の外にはなかったからです。彼は女の一部でした。女はそれを放すわけにいきません。男のノスタルジイがみたされたとき、再び都へつれもどす確信が女にはあるのでした。
「でもお前は山で暮せるかえ」
「お前と一緒ならどこででも暮すことができるよ」
「山にはお前の欲しがるような首がないのだぜ」
「お前と首と、どっちか一つ
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