於義丸は秀吉にくれた子だから対面したい気持もないヨ。秀吉が改めてくるなら美濃路に待つてゐるぜ、と言つて追ひ返した。
 けれども、金持喧嘩せず、盛運に乗る秀吉は一向に腹を立てない。この古狸が自分につけば天下の統一疑ひなし、大事な鴨で、この古狸が天下をしよつて美濃路にふてくされて、力んでゐる。秀吉は適当に食慾を制し、落付払ふこと、まことに天晴《あっぱ》れな貫禄であつた。天下統一といふ事業のためなら、家康に頭を下げて頼むぐらゐ、お安いことだと考へてゐる。そこで家康の足もとをさらふ実質的な奇策を案出したのであるが、かういふ放れ業ができるのも、一面夢想家ゆゑの特技でもあり、秀吉は外交の天才であつた。
 先づ家康に自分の妹を与へてまげて女房にして貰ひ、その次に、自分の実母を人質に送り、まげて上洛してくれ、と頭を下げた。皆の者、よく聞くがよい、秀吉は群臣の前で又機嫌よく泣いてゐた。俺は今天下のため先例のないことを歴史に残してみようと思ふ。関白の母なる人を殺しても、天下の平和には代へられぬものだ。
 ふてくされてゐた家康も悟るところがあつた。秀吉は時代の寵児である。天の時には、我を通しても始らぬ。だまされて、殺されても、落目の命ならいらない。覚悟をきめて上洛した。
 家康は天の時を知る人だ。然し妥協の人ではない。この人ぐらゐ図太い肚、命をすてゝ乗りだしてくる人はすくない。彼は人生三十一、武田信玄に三方ヶ原で大敗北を喫した。当時の徳川氏は微々たるもの、海内《かいだい》随一の称を得た甲州の大軍をまともに受けて勝つ自信は鼻柱の強い三河武士にも全くない。家康の好戦的な家臣達に唯一人の主戦論者もなかつたのだ。たつた一人の主戦論者が家康であつた。
 彼は信長の同盟者だ。然し、同盟、必ずしも忠実に守るべき道義性のなかつたのが当時の例で、弱肉強食、一々が必死を賭けた保身だから、同盟もその裏切りも慾得づくと命がけで、生き延びた者が勝者である。信玄の目当の敵は信長で家康ではなかつたから、負けるときまつた戦争を敢て戦ふ必要はなかつたのだが、家康たゞ一人群臣をしりぞけて主戦論を主張、断行した。彼もこのとき賭博者だ。信長との同盟に忠実だつたわけではない。極めて小数の天才達には最後の勝負が彼らの不断の人生である。そこでは、理知の計算をはなれ、自分をつき放したところから、自分自身の運命を、否、自分自身の発見を、
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