いるように見えた。将棋では、きびしい、という表現をよく用いる。この手がきびしいというように用いるのである。そのきびしさに似ていた。ミジンも隙のないきびしさである。いわば真剣勝負の剣術使いのきびしさのようなものだが、木戸には娘の様子が将棋のコマのように見えた。桂馬に似ていると思ったのである。
 彼がそのとき、次の手に考えていたのは、金と桂と歩であった。金をひいて守りをかためるか、歩をついて様子を見ればおだやかであるが、桂をはねだすと乱戦模様になる。その桂ハネが第一感で、それを予定していたのであったが、敵が指した瞬間に、イヤ、危いぞ、という思いがしていきなりプイと立ち上ってしまったのである。自分では一撃必殺のきびしい桂のつもりであるが、あべこべに自分の命とりになりかねない懸念もあった。しばしの息ぬきに無念無想の道をあるいていたつもりでも、その桂ハネが頭の底にからみついていたのだ。そのせいか、娘の顔が桂に見えた。
 彼と同年ぐらいの娘であった。野良の匂いのプンプンするような色の黒い田舎娘で、どこといって特にきびしさを感じさせて然るべきような要素があるとは見えないのであるが、しかし、とッさに彼は盤面の桂の鋭さきびしさを感じたのだから目をみはった。が、それはその瞬間だけのことであった。彼が目をみはったので、娘は彼以上に目をみはって、
「ダメよ」
 と大声で叫んだが、そこにはありふれた怒気があるばかりで、むしろ彼をホッとさせたのである。娘は彼の袴姿をジロジロ見て、
「変なカッコウしてるわね」
 と云ったので、彼も声をたてて笑いだしたが、そのハズミによいことに気がついた。
「そうだ。下の谷川で知ってる人が魚を釣ってるから、一しょに橋まで来ておくれ。その人から借りて払うから」
 たった二十円のことだった。娘がついてきたので二人は釣りをしている野村のところまで降りて行って、
「二十円かして下さい。実はお金をもたずにサイダーをのんじゃって」
「そうかい。サイダーの附け馬というのは珍しいな」
 と野村は立ってズボンのポケットをさぐっていたが、
「しまったな。ボクもお金をもたないよ。上衣を宿へ脱いできたもんでね」
 十月の始めであった。とかく気候の変り目にカゼをひきがちの野村はセーターを用意してきて、釣りにでるのにセーターに着かえてきたのである。どんより曇った日であったが、寒いという陽気でもなく、セーターでは暑すぎるような気持の折であったから、
「明日二十円とどけるまでこのセーターをカタにおくことにしよう。女房の手編みで甚だくたびれたセーターだが、二十円なら安かろう」
 娘も承諾して、野村のぬいだセーターを片腕にくるくるまきつけて戻っていった。
「あこぎな附け馬だね。本当にセーターを持ってっちゃったよ。サイダーなんてものには酒ほどの人情もないらしいな」
「そうなんですよ。あの娘には、ちょッとフシギなところがあります」
「そうかねえ。物を知らない田舎娘ッて、あんなものじゃないかね」
「今の様子はそうですがね。一瞬間、ボクは幻を見ました。桂馬を見たんです。いえ、気のせいじゃない。ハッキリと見たんです。四五の桂です」
 野村は返答の仕様がなかった。対局中神経がたかぶっているのだろうと思ったから、わざと話しかけもせず、肩を並べて黙々と宿へ戻ったのである。五時であった。木戸が中座してから一時間四五十分すぎていたのである。
 木戸は座につくといきなり四五桂とはねた。ところが、これが悪手だったのである。彼の見落した妙手があったのだ。若輩に一時間四五十分も座を外されて津雲は立腹していたから、じっくり考えて妙手をあみだし形勢一変して有利となったが、これで若輩を仕止めたように気持がゆるんでしまったのである。夕食後は緩手を連発して自滅し、若輩に名をなさしめてしまったのである。

          ★

「娘の顔に四五桂を見たとたんに絶対だと思ったんです。読み切ったように錯覚しちゃってね。指してから全然考えずにやッちゃったのに気がついた始末ですよ。津雲さんの応手が妙手のわけじゃないんです。読めば気のつく当り前の手だったと思うんですが、あまりダラシない見落しですから津雲さんになめられちゃってね。で、まア、おかげで幸せしたらしいですよ。バカな将棋さしました」
 あとで木戸は苦笑してこう野村に語った。しかし、そのとき、野村にはまだ娘の顔に四五桂を見たという言葉の意味がわからなかったのである。
 津雲は翌日の早朝に宿を去り、おそくまで残ったのは野村と木戸だけであった。二人はそろって散歩にでた。例の借金を払ってセーターを取り戻すためである。
 ところが山上へあがってみると、茶店は戸を閉じている。裏へ廻ってみたが、ここにも戸締りがしてあって、おとなっても返事がない。裏の畑にも人影がな
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