いから、山を降りて野良の人にきいてみたが、
「そうかい。戸締りがしてあるかい。それでは出かけたのだろうよ」
 という悠々たる御返事であった。
「どこへ行ったかわかりませんか」
「知んねえね」
 誰にきいてもわからない。
「セーターはあきらめて、戻るとしようよ」
 と野村は木戸をうながしたが、彼は考えこんでいるばかりで返事をしない。やがて歩く足もとまってしまった。
「どうしたんだい? 娘の顔の四五桂のつづきを読んでるわけじゃアあるまいね」
 と冷やかすと、意外にも、木戸は真顔でそれに答えて、
「えゝ。それなんです。その四五桂を読んでるのですよ。ボクがとッさに四五桂と読んだのは気のせいではありません。瞬間ですが、ボクはその顔を読み切ったのです。絶対なんです。盤面を読み切った感じ、それですよ。ボクの盤面の四五桂は錯覚でしたが、娘の顔に読み切った四五桂は錯覚ではありません」
「すると娘は将棋の神様かね」
「そういう意味じゃアないんです。将棋とは関係なしにですよ。ですから、あの四五桂が将棋以外の何を意味しているかと考えているのです」
「キミの四五桂に当るものが娘の何に当るかという意味だね」
「そうですね。ボクの四五桂は錯覚でしたが、錯覚でない四五桂の場合ですね。それと娘との関係です。感じというヤツですけど、きっと何かがあるのです。ね。戻ってみましょう。何か感じることがあるかも知れません」
「対局中の異常心理のせいだよ」
「いえ、それと関係ないですよ。それでしたら、今までに同じようなことがなければならないでしょう。あのときボクは対局を忘れきっていたんです。娘の顔が対局を思い出させたのではなくて、対局中であるために娘の感じ、瞬間的なある感じを読み切ることができたんだと思いますよ。錯覚でないことはたしかです」
 甚だしく確信的であった。娘の様子を思い返してみても、野村にはそれらしいものを感じとることができないので、バカらしいような気持が多分にあったが、木戸の対局中の異常心理の感じたものの正体を突きとめさせてみるのも一興だ。枯尾花のたぐいに終るにしても、その道順をたどるだけでも一興だ。たしかに何かがあったとしたら、それがどのように小さな何かであってもさらに興あることではないか。対局中のとぎすまされた神経は、あるいは神秘を見ることができたかも知れないのである。
 山上へ戻ってみると、例
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