、犯罪者はよびすてゞはないか。
個人が勝手に用いているザアマスだの敬語などは、銘々勝手で、罪のないものであるが、こうして一つの新聞的表現を法則化して押しつけてくる新聞語などは、もっと厳しく批判する必要がある。
オエラ方も犯罪者も戦犯も、みんな一様に氏とよんだら、どうだ。
新聞の任務が純粋に報道にとゞまるだけならともかく、多少とも啓蒙的役割を帯び、又、それを自覚しているとすれば、自分の在り方に、もっと自覚的でなければならぬ。そして新聞用語というものに対しても、組織的な研究機関があって、その選定に深い考慮を払い、又、世間の批判に耳を傾けて善処すべきであろうと思う。
そういう改善のキッカケとなる力は、文部省の教科書などより、はるかに新聞の方が強力だ。それも、つまり、言葉自体の問題ではなく、文部省は我々の生活の中には参加しないが、新聞は、直接我々の血肉とつながる生活の一部であるからである。
底本:「坂口安吾全集 06」筑摩書房
1998(平成10)年7月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第二六巻第七号」
1948(昭和23)年7月1日発行
初出:「文藝春秋 第二六巻第七号」
1948(昭和23)年7月1日発行
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2008年11月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング