小さい時から、豪傑を夢みる一方に、遊吟詩人を熱愛し、長じてフランスの本を読むようになったころも、ジョングラーという言葉にぶつかると、なつかしさに、いっぱいになったものだ。
私は今も、楽器をかゝえ、野山をヘンレキして、ひなびた村の門に立って、自作の詩劇を唄う旅人を考える。それは私の姿である。
私には、女房や子供と一つ家に静かに余生をたのしむというような思いは、どうしても、なじまれない。
私は時の政治に対する傲慢な批判や、権門富貴に対する反骨が生れながら身についていて、その生れながらの魂を唄声にして、ヘンレキ流浪の一生を送るように定まっているのだと考える。
私は実際に、私の死後とか、私の墓というようなことを、殆ど考えることがない。つまり子孫というようなことを、考えられないように生れついているらしい。
私には、恋人はあるが、女房という考え方にはどうしてもなれず、然し、私の死後、その恋人がすぐ生活に困らぬように何かしておいてやりたいと考えるが、私の墓を守ってくれなどゝは夢にも思ったことはなく、なんとか立派な男を探して幸福にくらして欲しいと考える。それは私の身についた想いなのである。
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