書きたいといふ、私の念願はただそれのみでありました。
 私は常に「美しい物語」が書きたかつた。私は常に「美しい物語」のことを考へてゐた。――美しい物語とは、決して、美男美女の恋物語といふことではありません。
 私達の生きる道には、逃れがたい苦悩があります。正しく、誠実に生きる人に、より大いなる苦悩があります。さうして、ひとつの苦悩には、ひとつづつのふるさとがあります。苦悩の大につれて、ふるさとも亦、遠く深くなるでせう。そのふるさとが、私の意図する物語のただひとつの鍵であります。
 けれども、私の苦悩はまだすくなく、それゆゑ、私のふるさとは、至つて浅いといふことを申上げずにはゐられません。
 ちやうど四年前ですが、私は、やつぱり、美しい物語を書かうとして「吹雪物語」を書きました。私はただ、人の心をゆたかにし、人の心を高めるところの、たのしい、幸福な物語を書き残さうと、一途に考へて、書いたのです。
 思ひもよらぬ結果でした。美しいのは、題だけでした。書き終つた物語は、ただ陰惨で、まつくらで、救ひがなく、作者は呆然とし、絶望しました。「吹雪物語」を読む人は、ただ、悔恨と、咒詛《じゆそ》と、疑惑と、絶望と、毒を読みとるにすぎないでせう。
 けれども、あれを書きながら、私が一途に念じつづけてゐたことは、美しい、ゆたかな、幸福な物語といふ、ただ、この一事のみなのでした。
 要するに、私の苦悩は未熟です。人生に於ても、未熟です。さうして、直接人性にふれて書かうとすると、私の切願にも拘らず、美しい物語は、ただ汚らしくなるのです。どんなに美しい物語を書かうとしても、直接人性にふれる物語を書く限り、私は汚らしい、不幸な、救ひのない、陰惨な物語しか書くことができません。
 このやうにして、私は、自分の意図とうらはらな自作の暗さに絶望し、やりきれなくなるたびに、筆をやめ、さうして、直接人性と聯絡しない架空の物語を書きはじめます。それは、気楽で、私をたしかにホッとさせます。書いてゐて、充実したものはなくとも、たしかに、気楽で、たのしかつた。――その気楽さに倦み、その充実の不足に反撥が戻つてくるとき、私は又、直接人性にふれた物語を書かうとし、結果に於て、自作の毒にあてられて、又しても、やりきれなくなるのです。
 この二つを、今まで幾たびも繰返しました。恐らく未来も、さうでせう。この二つがひとつ
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