、女といふものゝ身についた白々しさにウンザリしてしまつたのである。頑強に嘘をつき決して本当のことを言はない――それは不良少年でも同じことであつたけれども、不良少女の方は外面に頑強な所がまつたくなく、こつちの訊くことにはまともな返事をしようとはせず、娘の家出に就て実に美しい表現で長々とおくやみの挨拶をのべ、本当に親身になつて自分の方から相談に乗りだすといふ情のこもつた様子で、いつの間にか話を自分の身辺から遠い所へ離してしまひ、驚く程色々なことを教へてくれる。いづれも一応重大なことばかりだけれども、気がついてみると、この事件には何の関係もないことばかりだ。さうして娘達に別れると、結局どの娘の話をきいたあとでも、その娘だけが純良無垢なしほらしい女であるといふことを語つてゐるに過ぎないことが分るのである。全然他人にかゝる迷惑などは顧慮してをらず、娘の家出のことなどもてんで問題にしてゐやしない。不良少女は顔立の可愛い娘ばかりで、いづれも良家のしほらしい子女、いやむしろ普通よりも躾のいゝ娘としか思はれず、高貴なほど頭抜けて美しい娘もゐた。けれども、何分僕達は彼女達の驚くべき秘密文書をみんな読破してをり、いつどこで、何をしてゐたといふことをチャンと心得てゐるのだから、うま/\とは騙されぬ。とはいへ、彼女達が言ひ合したやうに美しい表現で親身の情を披瀝する術を具へてをり、色々と重大極る出来事を(それはこの場所に書くことすら出来ないほど重大な人生を含んでゐる)次から次へと呆気ないほどさり気もなく教へてくれる。それを、さて、静かに綜合してみると、これがみんな一途にたゞ自分一人の弁護のみを見事に構成してゐるのである。
決定的な孤独な性格と平然たる他への裏切り。腹も立つたが、生れながらのものを率直に投げだしてゐる身構へには小娘ながら時に目の覚める女を感じたのであつた。頭抜けて美しい高貴な娘は、翌日友禅の着物をきて、ダリヤだの何かの花束をもち、改めておくやみに現れてきた。母親に何かと美しい慰めの言葉をかけて、又、僕達をわざ/\呼びだしたうへ、問はれもしない色々の秘密を語つてきかせ、結局又自分だけいゝ子になつて爽やかに帰つて行つた。この小娘の独立独歩の人生に対して、まるで僕達はそのツマにしか当らぬやうな哀れさであつた。僕は悲鳴をあげてしまひ、三宅君は撮影所で女優の卵に演劇史を教へてゐたが、ヤア不良少女に比べると女優の方が大根ですなア、と嘆いてしまつた。京都にはその年までフグ料理が禁止されてゐたが、四条寺町に始めて一軒できた。その晩僕達はそこへ始めて這入つて、一番死にさうな所を食はしてくれなどゝ酔ひつぶれた始末である。
結局、僕には、この親子の愛情の実相といふものが、今もつて分らぬ。なんとも断定することが出来ないのである。家族の一人がゐなくなる。旅行にでゝ居なくなつたといふだけでも、五体の一角が欠けたやうな寂寥が目立つものである。ところが、この食堂のたつた三人家族の一人娘が家出したといふのに、その脱け落ちた空虚とか寂寥をどうにも僕は嗅ぎだすことが出来なかつた。ほんまに、あないな阿呆な奴でも、あいつが居なうなつたら、なんや、張合がなうて……と主婦はこぼしてゐる。もう、えゝわ。そないな話、やめとき……親爺が苛々と言ふ。それはたゞ泌々《しみじみ》と、一人娘の家出のあとの風景なのである。微塵も人に見せるための芝居ではなく、一人娘の家出の暗さが歴々漂ふ風景であつた。――ところが、それですら、僕には矢張り一人の家族が脱け落ちた大きな空虚と寂寥を泌々同感することが出来なかつた。
この食堂の親爺夫婦が正真正銘の夫婦であるといふことを信じる迄には相当の時間が必要であつた。親爺は六十三だけれども、七十三、いやもつと老けて見える。五尺に足らない小男で、前歯が落ち、脱け残つた歯が牙のやうに大きく飛びだし、顔中黒々と太い皺《しわ》で、その中にトラホームの目と鼻がある。年中帯をだらしなく巻き、袖で洟《はな》をこすりながら、弁当の配達に歩いてゐる。街を歩いてゐる時は左程でもないが、自宅へ辿りつくとグッタリ疲れてしまふらしく、食堂の内部ではウヽウヽウヽと唸りで調子をとりながらうろつき廻り、新聞だの煙草だの部屋の中の離れた場所にあるものを取りに出掛けて行く時には、坐つた場所から這ひはじめて、又這ひ戻つてくるのである。
主婦の方は四十三。これは年齢相当の年配に見えて、然し親爺に比べると、どうにも娘としか思はれぬ。却々《なかなか》の美人、身の丈は五尺四寸以上、姿はスラリと綺麗だけれども、髪の毛が赤い縮れ毛で、クワヰのやうに結んでゐる。年中|駻馬《かんば》の鼻息でキイ/\声をふりしぼりながら、竈の前で親爺をこき使つてゐるのである。顔も姿も綺麗だけれども、痩せてゐる胸のあたりは女の感じではなかつたし、動作にも、気質にも優しさがなく、そのくせ、最も頻繁にウチ女やよつてに、とか、気が弱うて、とか、凡そ飛んでもない述懐を本気で泌々こぼしてゐる。薄気味悪くなるのであつた。
この二人がどういふ因縁によつて同棲を始めたのだか、僕はハッキリ知らないが、昔、主婦がどこかの売店で売子の時分、親爺が熱を上げて口説き落したのだと云ふ。当時親爺には妻子と立派な店舗があつたが、それをみんな投げだして、この商売を始めたのである。その頃は人並以上の情熱児であつたであらうが、その面影はもはや一切残つてゐない。残つてゐるのは醜悪な老躯ばかりで、死損ひといふ感じが全てゞあつた。
この食堂の二階座敷の碁会所の常連や食堂の馴染客は、親爺に面と向つて死損ひだと言ふのであつた。棺桶に片足突つこんで置いてからに、却々いきをらんで。ほんまにシブトイ奴ッちやないかいな、と、一日に一度ぐらゐは誰かしら斯う言ふのである。さうして、後は引受けるよつてに、早うに死んだらどうかいな、と冷やかしてゐる。言ふまでもなく冗談である。悪意どころか、お前の女房は美人だといふお世辞のつもりであるかも知れず、こんなに羨しがつてゐるのだからお前の果報を喜べといふ好意のつもりであるかも知れぬ。然し、実際親爺が死んだらどういふ事態になるであらうか。伏見の石屋といふ豚のやうな肥つた男が、一ヶ月に一度づゝ酒を飲みにやつてくる。十五年ぐらゐ、かうして確実に一ヶ月に一度づゝ見廻りにくるのである。その日は朝から深夜まで十五六時間ゆつくり飲んで、親爺がまだ死なゝいことを見届けて帰つて行く。すると又、稲荷山へ見廻りにくる香具師《やし》の親分といふのがあつて、時々子分をひきつれて威勢良く繰込んでくる。主婦は俄に化粧を始め、外のお客は一切奥座敷から締めだされる。親分が酔つ払ふ頃になると子分は帰つてしまひ、親爺も二階の碁席へ引下がる。親爺は押黙り、異常な速度で傍目もふらず碁を打つてゐる。あゝ、又、例の客だな、と常連達は忽ち察しがつくのであつたが、誰も同情する者はない。全然気にかける者もない。この親爺が世にも不似合な女房をもち、その結果斯ういふ事態にならなかつたら、その方がこの世の不思議といふものだ、とみんなが思つてゐるのである。
然し、親翁が死んだら……多分、主婦自らが最もそれを希つてゐたに相違ないが、然しながら実際親爺が死んだら……主婦とても全く自信はないのであらう。ふとつた石屋も香具師の親分も老後を托すに足るだけの誠意でないことは自明であるし、第一主婦は、すべての大人といふものが世の辛酸表裏を知りつくしてゐるために、大人達と老人達に本能的な嫌悪を懐いてゐた。さうして、弁当の得意先であるところの鉄道の独身者の若い従業員に親切にし、娘の婿にと心掛けてゐるのであつたが、実際は、それが娘のためではなく主婦自らの最大の慰安であつた。が、それとても、真実の未来の光明となり得ぬことは痛切に思ひ知つてゐたのである。親爺夫婦は僕に妻帯をすゝめたが、そのとき主婦はいつも僕にかう言つた。どない女かて宜しうをすわな、あんたはんかてもう五ツ六ツ老けてごらうじ、一人やつたら味気なうて、ほんまに生きられえへんどつせ。多分主婦が最も痛切にそれを感じてゐたのであらう。人間には年齢の思考といふものがある。頭の思考に独立して年齢自身が考へはじめ、その抜きさしならぬ暗さ、のしかゝつてくる思考自体の肉体的な目方の重さといふものを僕も薄々感じることが出来たのである。老醜の恐怖といふものが今まざ/\と主婦の眼前にひらけ始めて、どのやうな男でもいゝ、死損ひでも構はない、何かしらに縋りついてゐなければならぬ。狂気のやうに自分を愛す親爺である故、うるさくて憎くて仕方がないが、縋りつかずにもゐられない。それは愛情の声ではなく、衰へはじめた年齢の又肉体の声だつた。最大の不信、親爺の死滅を祈りつゞけてゐながらも、縋る手を離すまいと動く手を自ら断つといふことが出来ぬ。
娘に婿をもらつて静かな余世を、と言つてゐるが、大嘘だ。主婦みづからの血潮の始末に身もだへて、あがきのつかぬ状態だつた。いゝ加減なことを言ふな、と、僕の目がいつも冷めたく光るのを、どうすることも出来なかつた。あの娘をどれほど愛してゐるか、それは知らぬ。娘の家出がどのやうな寂寥を与へたか、それも分らぬ。或ひは僕如き人生の風来坊には見当もつかないやうな荒涼たる心事であるかも知れぬ。けれども、如何ほど深い寂寥であるにしても、それが何程のことであらうか。自分一人の始末だけでもするがいゝ。情緒の問題は末の末で、この食堂では、家出した娘の脱けた空虚などは一向に目立たず、四十女の肉体が亡魂となつて部屋いつぱいうろつき廻つてゐるではないか。
本格的に姿をくらました娘も、十日目ぐらゐに奇妙なことでつかまつた。
僕と三宅君は例の如く親爺に頼まれて申訳ばかりに二日間ぐらゐは心当りを探してみた。立命館の予科の山口といふのを頼りに、この学校には友達二人教師をしてゐるし、予科の名簿をみんな見せてもらつたけれども、それらしいのが見当らない。僕達が名簿を睨んで唸つてゐると、何を教へてゐる先生だか知らないけれど、体格のいゝ先生が心配さうに近寄つてきて、娘はいつごろ家出しましたか。昨日です。それぢやア、あなた、と先生は声に力をこめて、まだ間に合ふ。さつそく神戸と下関へ手配しなきやアいけませんぜ。こゝを堅めてゐりやア大丈夫つかまるですよ、と一人で勝手に頷きながちさつさと向ふへ行つてしまつた。不良少女の巣のやうな喫茶店も廻つてみた。不良少女の足を洗つて大人になつた女給がゐて、これが娘の姉さん株の関係だつたが、流石に大人だから、自分だけいゝ子になるのは変りがなくとも、嘘でないことも教へてくれた。あれぐらゐの年頃の不良少女は男としよつちう遊んでゐても、めつたに肉体的な関係にはならないものだ、といふのであつた。さういふ危険性のある男は本能的に避けてゐる。けれども、肉体的な関係になつても別に不思議ではないのだから……姐御は僕達の目をヂッと見てゐたが、自分の知つてゐる限りでは、娘のつき合つてゐた男のうちに、さういふ事態になりうる男が二人ゐるから、と言つて住所と姓名を書いてくれた。京都の端と端であつた。一人は予科生、一人は中学生だつた。僕達の話の途中、姐御の馴染客が二組も来て頻りに合図するのであつたが、姐御は平然として黙殺し、不良少女や少年の内幕に就て様々な細い注意を与へてくれる。さうして、別れる時には、ほんまにお母さんは御心配のことゞすやらうなア、暇やつたらウチも行つてあげたいのやけれど。――勘定もチップも受取らなかつた。頼もしい女だと思つてゐたら、後日娘がこの話をきいて、あの人、狸やわ、冷然とさう言つた。
教へられた不良少年を京都の端へ訪ねて行つたが徒労であつた。その日はまさに一年の大晦日に当つてゐた。街々は暮の飾りで充満し、さういふ飾りの物陰で、呼出した不良少年を威したり賺《すか》したり、死にたくなるやうなものである。一人だけでウンザリして、もう止さう、僕が言ふと、三宅君も実に簡単に賛成した。不良少女の方だつたら出掛けて行つてもいゝのだが、などゝ笑つてみるが、益々異様にガッカリするばかりで、笑
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