とが出来るであらう。僕は心をきめて父母を説いた。父母は詮方なく承知して、娘は着物の包みを持ち、僕にだけ見送られて、二人は永遠に去つてしまつた。
 その後、着物が欲しいといふ手紙があつて、僕が二度届けてやつたことがある。捨てゝきた古い家、父母のことを、娘は全然念頭に置いてゐなかつた。あんまり鮮やかに念頭に置いてゐないので、正直なところ、いさゝか感動した程である。

 僕が京都を去る直前であつたが、三度目の手紙が来て、最後の着物を届けてくれないかと言つてきた。娘にはもう会はない、死んだものだと思つてゐる、といふ主婦であつたが、一緒に行つてみたいと言ひだした。僕は賛成ではなかつた。けれども、止したまへ、と言ひきるだけの自信もない。娘はそのころ銀閣寺に近い畑の中の閑静な部屋に住んでゐた。主婦は一丁ぐらゐ手前の所で待つことにして、荷物は僕が届けた。お母さんがそこまで来てゐるぜ、と言つてきかすと、娘の顔、娘の全身は恐怖のために化石した。おど/\して、この部屋へくるでせうか、ときくのである。なつかしさ、さういふものは微塵といへども気配がなかつた。僕は主婦に一言の報告もせず、すぐさま別れて銀閣寺をまはつて帰つたが、銀閣寺は箱庭のやうにくだらぬ庭で腹が立つた。
 おせつかい。それを気に病むことがなかつたのである。変に、自信があつた。二人の若い恋人達の未来に就てのことではない。そんなことには、全然、責任を感じなかつた。僕はたゞ食堂いつぱいに漂ひさまようてゐる主婦の肉体の亡魂に就て自信があつた。情緒は末の末である。銀閣寺界隈の娘の侘び住居へ忍び寄つてほろりとしてゐる等といふのは悪趣味も甚しい。そんな所に、あなたはゐない。あなたの血液は食堂の中で煮え狂ひ、亡魂は重なる呪咀と悔いのために歯ぎしりしてゐる。――それを僕はむしろ甚だ可憐だと思つた。親爺も亦最も可憐であつた。京都を去るとき、主婦はたしか甘栗と八橋を汽車の窓から投げこんでくれたやうだ。かうして僕は京都に別れを告げた。可憐なる人々よ。さようなら。



底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「真珠」大観堂
   1943(昭和18)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2008年10月15日作成
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