処女? その言葉をきいた時に、僕はびつくりした。その言葉に含まれた動物的な激しい意味が閃いたからである。それは男の僕が女を対象に眺めて云々した場合の「処女」といふ意味とはまるで違ふ。たゞ専一に親だけが子供に祈つてゐる「処女」であつた。何か信仰のやうな激しい祈りが感じられて、子供を持たない僕には思ひも寄らない唐突な言葉であつた。人間の中の一番動物的なものを感じたやうな気がしたのである。人間はやつぱり動物だ。こんなにも本能的な信仰を含んだ神秘が実在してゐる。――僕はびつくりして二人の親を眺めたが、思ひもよらず眼前へ出現した二人の動物を呆気にとられて眺めたと云ふ方が当つてゐる。
 僕は万やむを得ず娘を僕の部屋へよんで訊いてみた。男は立命館の予科の生徒で山口といふ名前だと云つた。殺されてもこの家にはゐません、と娘は言つたが、たしかにそれだけの決意をしてゐた。
 僕はこの通りのことを親に報告した。隠しても仕方のないことであらう。あれぐらゐ家を厭がつてゐるのだから、縁がないのだと諦め、娘を手離した方がいゝ。僕はさういふ風に僕の意見をつけたすことを忘れなかつたが、親達はそんな言葉はてんで聴いてゐなかつたのだ。報告をきかされたとたんに、二人の親、動物、の思考がまつたく途切れてしまつたのである。二人の親はジロリ黒い目を見合せた。
「早うに、女郎に売りとばしたら良かつたなア」
 親父が言葉を洩らしたが、主婦は返事をしなかつた。多分、親父はその瞬間に今喋つたゞけの事柄しか考へることが出来なかつたに相違なく、主婦は又、余りに多く様々の恐しい想念が浮びすぎて喋ることが出来なかつたに相違ない。
 親父は子供に対して非常にアッサリした一つのことしか考へてゐなかつた。もともと主婦の姉の子で、親父には血のつながらぬ娘である。だから、愛情などは二の次にして、育てた代りには、老後の面倒を見て貰ふ、親子関係は極めてアッサリとたゞそれだけに限定してゐた。どこの馬の骨や分らん男にやつてしまふたら損やないか、ほんまに阿呆な目に逢ふたもんや、親父は頻りにブツ/\言つてゐる。損、といふ、異常に執拗な観念が鬼のやうに親父の頭の中を狂ひ廻つてゐるのが、分つた。
「分りました。ほんまに先生、お世話様のことゞした。もう、諦めますわ。何もかもこれで済んでしもうた。アヽヽ。ほんまに、えらいこつちや」
 主婦は苦笑しながら
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