、今や夢見中で、夢の中では鉢巻をしめてステヽコを踊つてゐる様子であつた。豚や牛では、とても、かうはいかないだらう。牛などは、生きてゐる眼も神経質だ。猪といふ奴は、屍体を目の前に一杯傾けても、化けて出られるやうな気持には金輪際襲はれる心配がない。無限に食つた。大丈夫だ。もたれない、と尾崎士郎がけしかける。
そこを出たのは八時前で、まだ終列車には間があつたので、大江と二人、女のところへ一言別れを告げに行つた。黙つて行く方が良くはないか、と大江が言ふが、僕はハッキリ別れた方がいゝと思つた。大江と女は東京駅まで送つて来た。女とは、それまでに、もう、別れたやうなものではあつたが、気持の上のつながりは、まだ、いくらかあつた。
「君は送つてくれない方がいゝよ」と僕は女に言つた。「プラットフォームで汽車の出る時間待つぐらゐ厭な時間はないぜ」
けれども、女は送つてきた。
「気軽に一言さよならを言ふつもりだつたんだが、大江の言ふ通り、会はない方が良かつたのだ。どうせ最後だ。二度と君と会ふ筈はないのだから、暗い時間を出来るだけ少くしなければならない筈だつたのに」
「分つてるのよ。二度と会へないと思ふし、会はないつもりでゐるけど、別れる時ぐらゐ甘いことを一言だけ言つて。また、会はうつて、一言だけ言つてよ」
僕は、それには、返事ができなかつた。
「君も、どこか、知らない土地へ旅行したまへ。たつたひとりで、出掛けるのだ。さうすれば、みんな、変る。人はみんな、自分と一緒に、自分の不幸まで部屋の中へ閉ぢこめておくのだ。僕なんかゞ君にとつて何でもなくなる日が有る筈だといふのに、その日をつくるために努力しないとすれば、君の生き方も悪いのだ。ほんとの幸福といふものはこの世にないかも知れないが、多少の幸福はきつとある。然し、今、こゝには無いのだ。特に、プラットフォームで、出発を見送るなんて、やりきれないことぢやないか」
然し、女は去らなかつた。プラットフォームに突立つて、大江にも話しかけず、たゞ、黙つて、僕の顔をみつめてゐた。その眼は、怒つてゐるやうに、睨むやうにすら、見えた。汽車が動きだすと、女は二三歩追ひかけて、身体を大切になさいね、身体全体がたゞその一言の言葉だけであるやうに、叫んだ。不覚にも、僕は、涙が流れた。大江は品川まで送つてくれた。
二
隠岐和一の別宅は、嵯峨にあ
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