アハハ。しかし、我、関せず。故に、わが天地、恨みなく、怒りなし。よろしく、たのみます。ねえ、専務さん。アハハ。今度は本当に専務とよばなきゃ、いけなくなっちゃったね。曾《かつ》ては、妹とよびたりし乙女は、社長の愛妻であり、又、重役であり、しかれども、恨みも怒りも一片だにありませんです。すべて、これ、知らぬ顔の半兵衛ですよ。アッハッハ」
 彼は手をさしだして、菊松の握手をもとめた。まことに他意なく、ニコヤカ、アッパレな武者ぶりであった。
 菊松も、こだわらず、半平の手を握りかえした。スガスガしい愛情だ。彼も亦、恨みは忘れていた。ただ、新しい人生、そしてわが社、わが社員を愛する思いでイッパイだった。
 この風景を眺め、仕事の手を休め、ニコヤカにモミ手して、慶祝の意を表して悦に入っているのがサルトル社長だ。それを見て、口を抑えて、ふきだすのをこらえているのが、愛妻重役であった。まずはメデタシ。



底本:「坂口安吾全集 07」筑摩書房
   1998(平成10)年8月20日初版第1刷発行
底本の親本:「講談倶楽部 第一巻第八号〜第二巻第三号」
   1949(昭和24)年8月1日発行〜1950(昭和25)年3月1日発行
初出:「講談倶楽部 第一巻第八号〜第二巻第三号」
   1949(昭和24)年8月1日発行〜1950(昭和25)年3月1日発行
入力:tatsuki
校正:狩野宏樹
2009年10月27日作成
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