かないうちに、入社したものと決めたらしく、名刺を一枚わたした。高級美談雑誌「寝室」編輯長、白河半平《しらかわはんぺい》、と刷ってある。
「ボク、白河半平、かいてあるでしょう。ボクのオヤジ、面倒くさくなっちゃったんだね、子供の名前を考えるのがね。その気持は、わかるね。お酒に酔っ払った勢いで、シャレのめしたんですよ。知らぬ顔の半兵衛とね。だから、覚え易いでしょう。ほらね、知らぬ顔の半兵衛の白河半平、アッハッハ」
ひとりで、喜んで、笑っている。薄馬鹿みたいなようであるが、どうも薄気味わるくて、うちとけられない。すると、半平は、又、ちょッと考え深そうな顔にかえって、
「あなた、雑誌の編輯できますか? できないでしょうね。いゝですよ。ボクが教えてあげますから、じき、なれますよ。プランの方はね、これは才能の問題だけど、割りつけや校正なんか、字さえ知ってりゃ、六十の人だって出来らア。さしあたって、ボクと一緒に探訪記事をとりにでかけるんですけどね。ほら、マニ教、知ってるでしょう。あそこへ信者に化けて乗りこむのです。天下の三大新聞だのって云ったって、新聞雑誌、みんな念入りに失敗してやがんのさ。場合によっては四五日泊りこむことになるでしょうから、明日はそのつもりで出社して下さい。九時の汽車にのるから、八時半までに出社して下さいね」
正宗菊松は、なすところを失ってしまったのである。ボウゼンとしているうちに、彼の入社は確定的なものとなっていた。すると、それからの二時間あまり、彼は続々と更に甚しい屈辱を蒙らなければならなかった。
「オイ、そのドタ靴じゃア、天草商事の重役とふれこんだって、マにうけてくれないよ。ネクタイも色が変っているじゃないか。ちょッと、上衣をぬがせてごらん」
天草次郎は残酷であった。正宗菊松の全身に鋭い目をくばって、情け容赦もなく、冷酷無慙に云い放った。半平がすぐ立上って、スルスルと駈けより、手をかして、彼のモーニングの上衣とチョッキをぬがせた。
「そんなヨレ/\のワイシャツじゃア、新円階級に見えるものか。オイ、シャツは。シャツだって、どういうハズミで人目にさらす場合がないとも限らないさ。なんだい、ツギハギだらけじゃないか。そんなんじゃア、サルマタだって、大方、きまってらアな。吋《インチ》をはかって、一揃い、女の子に買ってこらせろ。オット、待て。帽子を見せろ。アレアレ
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