五、ツル子は二十一に相成りまする」
「当分、毎日くるがよい。魂をみそいでつかわすぞ」
「ハハッ」
 菊松は平伏した。神のお怒りは解けたらしい。すると半平が、又、口をいれた。
「ほらね。あれだからね。オヤジは信心とくると、理性を忘れて、からだらしがないからねえ。平伏するばッかりなんだよ。毎日おいで、と云われたら、何時ごろ来たらよろしいですか、と訊くのが自然の理知というものだね。オヤジは神様の前へでると、てんで、なってやしないねえ。これで、よく、会社の重役がつとまるもんだよ」
「だからさ。キミがそんなに云っちゃアいけないよ。そこは、ちゃんと秘書というものがついてるのだからさ」
 と、才蔵が、又、なだめておいて、神様の使者に向って尻を立てゝ腰をかゞめた。
「あの、明日からは何時ごろに参りましたら宜しゅうございますか」
 商家の丁稚《でっち》が番頭に伺いを立てるような心易さだが、神様の使者は怒らない。
「朝夕のオツトメには、まだ加わることはできない。朝の十一時ごろ来てみるがよい。場合によっては神膳のお下りをいたゞくことができるから、人数だけの昼食の米をお返しに捧げなければならないぞ」
「ハイ」
 雲隠才蔵はニコニコと手帳をだして書きこむ。エエと、朝の十一時、米持参。まことに心易い様子であるから、神様も拍子ぬけがするのかも知れない。
 こうして、第一日目は成功に終った。したたかに蹴られ踏んづけられた正宗菊松が哀れな思いをしたゞけであった。
 その夜、彼は妻子のことを思いだして、ねむられなかった。彼の妻子は実家へ疎開のまゝ、いまだに転入ができないのである。転入ができたところで、彼の今の給料では生活ができない。彼は晩婚であったから、長男はまだ十九だが、上の学校へもあげられず、女房の実家で畑を耕しているのである。
 行末のことを考えると、心細さが身にしみる。それというのも昨日まではとんと夢にも思い至らなかったことで、大学生という新動物の発見以来のことなのである。まったく謎の動物であった。
 彼らは神様の使者の前でも、心おきなく勝手放題なことを喋りまくっていた。神様をなめているのかと思うと、そうではない。みんな計算の上なのである。一足神前をさがると、彼らはむしろピリリと緊張したようである。神様の前では、オヤジだの常務だのと、まるで彼一人|嬲《なぶ》られ者にされているような有様だった。
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