名刺を一枚一枚ながめたのちに、こうきいた。
「ハイ、五十二歳でございます」
「商売は繁昌しているか」
「ハイ。おかげさまで、どうやら繁昌いたしております」
「お父さんは慾が深すぎるんですよ」
と、半平が横から口をいれた。彼はもう、ふだんのようにニコニコして、一向に神の使者を怖れている風がない。長年交際した人に話しかけるような馴れ馴れしさであった。
「信心深いというよりも、慾のあげくの凝り性なんですよ。ボクら、ずいぶん、いじめられましたよ。ねえ、ツルちゃん、戦争中は、皇大神宮に指圧療法、終戦後は、寝釈迦《ねしゃか》、お助けじいさん、一家ケン族みんな信仰しなきゃア、カンベンしてくんないんですからね。子供のボクらや、秘書のこの三人の人たち、迷惑しますよ。でもねえ、云うことをきかなきゃカンベンしないんだから仕方がないですよ。今度、マニ教の噂をきいて、神示をうかがってくるんだって、どうしても、きかないのです。ボクら、もう、オヤジが言いだしたら仕方がないと諦めていますから、オヤジの信心するものは、なんでも信心するんです。さもなきゃ、お小遣いもくれないもの是非ないですよ」
落ちつき払ったものである。育ちのよい坊ッちゃんが腹に思っていることをみんなヌケヌケ喋っている気安さであった。彼は悠然と、まだ喋りつゞけた。
「ボクら、若い者でしょう。遊ぶことは考えるけど、信心なんか、ほんとはないのが本当でしょう。でもね、オヤジがこんな風だから、つきあわなきゃ勘当されますよ。ですからね、ボクらは神様にお目にかかって、どんな人だろうなんて、そんなことしか、考えられないですよ。ねえ」
「軽々しく神の御名をよんでは不敬である。凡人が神にお会いできるなぞと考えては不敬千万である」
神の使者は静かにさとした。眼光は鋭かったが、先刻の凄さはもはや見られない。今度は説教師の様子であった。
「信徒が神様にお目通りできるまでには、何段となく魂の苦行がいるぞ。御直身《ごじきしん》と申して、神様につぐ直《すぐ》の身変りの御方。この御方にお目通りするまでにも、何段となく苦行がいる。お前らはイブキをうけ、ミソギをうけたから、信徒として、許してつかわす。毎日通ううちに、身の清浄が神意にとゞいたら、御直身がお目通りを許して下さるだろう。神様のお目通りなぞは二年三年かなわぬものと思うがよい。今日は立ち帰って、明日出直して
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