争に負けてみると、やっぱり中世の人間にすぎないことが明かとなった。
 やっぱり中世にもインテリはいたし、善人もいた。ユダヤ博士はキリストに呪われ、善人どもは親鸞の一喝をくらい、善人なおもて往生をとぐ、危いところで素懐を遂げさせてもらうことができたという始末なのである。
 ユダヤ博士というのは、まア今日では哲学博士になるのだろうが、親鸞の危く往生をとげつゝある善人というのは、今日で云うと、やたらに眉をしかめて、道義のタイハイを怒り咒い、ヤミ屋を憎み、パンパンを憎み、エロを憎み、グロを憎み、ストライキを憎み、聖人たるものこう憎みが多くてはこまる、けれども憎まずにいられぬ。善人ともなれば心は大いなる憂いに閉され、悩みの休まる時はない。
 新憲法で、サムライと町人の区別がなくなり、宮様もなくなった、みんな人間だ、天皇も人間だ、みんなそうだと思っているが、みんなそうだと思っていやしない。
 先ず新聞を見る。サギの容疑者、前代議士何々氏とある。ピストル強盗容疑者何々、とある。善いことをした人でも、会社員以上は何々氏、運転手なら何々君、とある。
 そこで正義派のインテリ先生がフンガイに及んで、氏と君
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