ゆずり伝えたカミシモをつけ、もう電燈もガスも鉄道もある、道義も人情も仁愛もある、法律もあり統制された秩序もある、だから中世じゃない、こう考えて、そのカミシモを疑うことを知らなかった。
このカミシモが今日まで伝承完成するに千年ほども時間がかゝっているのだから、これはもうカラダの一部分だというぐらいに誰しも考えていたのであったが、アニはからんや、戦争が二三年つゞくと、千年の時間がアッサリ消えてもとに戻り、我々はもうカミシモを身につけていないことに気がついたわけだ。
カミシモは時間によって、はかるべからず。私が時間を疑うことを知ったのは、戦争のせいだ。私も青年時代はエチカだの中観論などを読んで、過去も現在も未来も疑うことができるが、疑うことのできないのはある一つの実在だけだというようなことを尤もらしく考えることを鵜のマネしたが、私は今はもう唯物論者であり、然し、唯物論者も、歴史や時間を唯物的に疑うことができる、イヤ、疑わねばならぬ、そんなことはテンデ考えてもみませんでした。まことに、どうも、知らないということは情けない。私はつまり戦争を知らなかったからである。
目下の我々のモラルや秩序や理念だけでは、人間は窮すると中世になる。この逆転を支えるだけの実力がない。
共産党は元々カミシモを持たないから、卒直単純に中世で、共産党の組合の指導寸法というものは、一方的に座の利益を主張するものだから、やっぱり隣組のタバコ座やラク町のパンパン座と本質に於て変りはない。
私は中世は好きではない。隣組のタバコ座は好きではないのだ。私がかのオバサン座に常に惨敗のウキメをみたヒガミではないのである。
然し、窮すれば、中世になる。この転落を防ぐ真に実力ある方法は、目下のところ、モラルや理論ではどうにもならず、窮しなければ中世にならない。それ以外には外に方法もないように見える。
窮すれば中世になるということは、察しなければならないということで、だから目下、ヤミ屋は中世ではなく、常にブルジョアには中世の精神は分らない。不思議にも、ブルジョアならぬ私、常に窮していた私が、尚かつ平和時代に於ては中世の精神をさとるに至らなかったとは、まことに意外千万だ。
私は然し、常に窮しながら、あえて中世に節を屈しなかった私の方に、いくらか取柄があるのだと考える。
一方的に自分の利益だけを主張する、ということには、これを自分一人でやる場合には非常に勇気がいるのである。ところが徒党を結んでやる場合には、全然勇気がいらない。
孔子もキリストも古代の思想で、これは人間一個自立自存の思想であるから、勇猛心を代償として尚かつ我利我利妄者であるべきかという豪傑と仁義に関する思想であり、さすがに中世ともなれば進歩したもので、勇気などは始めからもうアパパイで、狡智、策戦、たちどころに徒党を結んで、商人は商人の座、工人は工人の座、パンパンはパンパン座、オカミサンは隣組座、みんなこれをやる。
キリストが原人的であるのに比べると、孔子はよほど社会人的であるけれども、徒党精神の味方ではない。
私も中世を好まない。中世よりも古代、原人の倫理を好み、中世に復帰するなら古代に、まず原人に復帰したいと考える。カミシモをぬぐなら、カミシモだけぬいで中世にとゞまるよりも、フンドシまでぬいで原人まで戻ろうというのが私の愛する方法だ。
私が未明の二時三時に行列して一個のタバコが買えなかったころ、隣組座の横暴もあったけれども、又一方には百個のタバコの五十個を店主が知人やオトクイに流すということも公然のことであった。然しこのころはタバコ屋はまだヤミをやってはいなかった。ヤミ値で売ってるわけではなく、知人への義理人情、オトクイへの義理人情、そういう性質のものであった。
戦争中はまだ旧秩序への復帰ということが前提されていたから、オトクイはやがて再びオトクイとなる、知人はやがて恩を返す、そういう未来への打算があったのであるが、今はもうオトクイは破産し、知人もヤミ屋となり、旧秩序への復帰の前提が失われたから、みんな中世の座をくんだり、野武士となったり、それぞれ中世の方式通りに活躍遊ばされておる、クモは生れながらにして巣をくむが、人間は戦争に負けると、おのずから中世となる。蜂須賀小六はもう八方に野武士から一国一城のあるじとなりかけているのである。
パンパン座やマーケット座や隣組座や従業員組合座が中世的であるとすれば、ヤミ屋は個人的である点で、まだ、いくらか古代的であり、原人の勇猛心を必要とする。
けだし古代というものは、人間がその原罪とか悪と戦ったもので、人間はすべて罪人であり、救世主に縋らずして自らの罪を救い得ぬ迷える羊であるけれども、中世の徒党精神には原罪がきれいに切り放されており、自らの罪を自覚す
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