乱の如きは、太陽暦では翌年にかかっており、太陰暦の元旦に天草の切支丹組が油断していると思って総攻撃した時、切支丹側には何でもない平日で、ために日本側は総大将が戦死するほどの大損害をこうむった。そして今日のコヨミに至っても、太陰暦の日付がそのまま太陽暦の歴史として伝えられているのである。日本の学者のズボラさ、非科学性もはなはだしというべし。
ただ紀元節の二月十一日だけは太陰暦の元旦を太陽暦に逆算して算定したものだそうである。すべてがこのようでなければ、記念日などというものは実は全く日付違いなのである。
底本:「坂口安吾全集 11」筑摩書房
1998(平成10)年12月20日初版第1刷発行
底本の親本:「読売新聞 第二六五九五号」
1951(昭和26)年1月1日
初出:「読売新聞 第二六五九五号」
1951(昭和26)年1月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年3月16日作成
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