皿にもっと山盛りにもってこい」
「キサマ、本当にうまいのか」
「うまいですとも。見直しましたよ。あなたも相当な食通だ。海底にも海底の山川草木があるものですが、その全ての精気がこもってますな。これは少くとも七十五尋以上の深海に生育していますよ」
彼の目の色が変っていた。色慾から食慾に乗りかえたことが歴然と現れていたのである。彼は三皿目のバイも大急ぎでむさぼりくらい、女中をよんで、
「オイ。オマエのウチにイケ花をいけるような大きな皿があるだろう。その皿に、山盛り、バイをつみあげてこい」
「樽ごと持ってきてやろかね」
「なるほど。それも、いいな」
「目の色が変ってるわ」
女中は嘲笑して去ったが、卓上には置き場がないほどの大きな皿にバイを山盛り運んできた。二人はそれもことごとく平らげたが、さすがに放善坊も五皿目を所望しなかった。余もことごとく満腹であった。
放善坊は食べ終ると横臥して目をつぶり、
「知りませんでしたねえ。人生は深く、ひろい。バイを食べて、人生にバイバイ。また、よし。また、よし」
ふと見ると、彼は泣いていたのである。
余もまた強烈な心境に憑かれていた。バイとは何物だ。タニシそのものであってもかまわない。その存在が一に尊まれるのは、人に食せられるによってである。死せざればただ水中の怪物にすぎざる物も、死して人に食せられては、放善坊をも泣かしむるのである。人生の理はかくの如くに顕然たり。余もまたよく己がツトメを果して死せざれば、ただ春日山の怪物にすぎざるべし。
余は生来のサムライである。サムライがサムライたることを羞じ怖れては己がツトメの果さるべき理がないではないか。
憎むべきかの信玄を斬れ。かの入道を足下に踏んまえよ。将兵の辛苦はさることながら、これもまた銘々のツトメならば是非もなし。謙信はバイたらん。諸氏もまたバイたれ。春日山城の総員はあげてバイたれ。諸氏はその馬力に於てPTAの女連盟に及ばずといえども、バイたれば足るのである。謙信は馬力に於てPTAの女連盟に遠く及ばず。しかも余がバイたれば、PTAの女連盟は余のために哭し、余の名をたたえるであろう。諸氏に於てもまた然りである。バイたれ。バイたるべし。バイたらん。
余がかくの如くにカツゼン大悟して、ふと見やれば、放善坊は涙を拭き拭きカラカラと狂笑して起き上り、
「さて、この勘定はいくらだろうか。
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