リクリ苦面《くめん》してアルコール類、食料、調味料をとゝのへて、釘づけの店の扉をあける。更生開店、しかしお衣ちやんを店へさらすわけにいかないから全然一室に鎮座してもらつて、自らコック。コック場の隣が鎮座の一室だから見張りの絶好点で、コック場を離れるたびに心痛甚しい。そこでお客のサービスには玉川関にでゝもらふ。玉川関は五十三だが、見たところは四十五六、五尺六寸五分もあつて、肩幅ひろく、筋骨たくましく、腕は節くれだち、脛《すね》に毛が密生の感じ、全然女のやうぢやない。稽古のあとの相撲のやうに乱れ毛をたらして悠々八貫俵を背負つてきてくれる、カストリの一升ビンをギュッと握つてグイとさす、豪快、小気味のいゝ注ぎつぷりだが、口をへの字に結んでランランたる眼光、お客が何か言ふたびにたゞエヘヘと笑ふ、養命保身と申すわけには行かない。
「私やお店はできませんから、幸ひ教会に商売になれたオバサンがをりますから、その方に夕方から来て貰ひませう。私は買出しの方やらオサンドンをやりますから」
 と言ふ。この上教会からオバサンが来ては天妙教の出店のやうでイマイマしいが、玉川関は八貫俵を背負つた上に五升づゝ一斗のお米を両手にぶらさげて足先で裏戸をあけてはいつてくる、女だから隣組の用もたす、米も炊く、お掃除おセンタク、捨てがたい手腕があるから、よからう、なまじ女給などゝ月並な女どもを探すよりも天妙様の御意にまかせて当てずつぽうに御入来を願つた方が、どんな当りをとるか知れたものではない。
 そこで現れたのが痩せてガナガナひからびた小さな婆さんで、日本橋でタコスケといふ小料理屋を二十年ほどやつてゐたがツレアヒが生きてりやこんな不景気な店へオツトメなんぞに出やしない、私や中風の気があつて手が自由をかきお酒をこぼしたりとんだソソウをやらかすことがあるから、娘をつれてきたといふ、娘は水商売に不馴れだから当分後見指南に当る由、娘は二十八、出戻りで、一つも取柄といふものがない。なんの病気か知れないが痩せてあをざめて不機嫌で、額のあたりへコーヤクか梅干でもはりつけて寝てゐたところを顔を洗はせて連れてきたといふ感じ、まだしも玉川関の豪快なお酌の方がお客の尻を長持ちさせる様子であるから
「よした、よした。あなたはお帰り。料理屋は病院ぢやないからね。お客は病み上りの仏頂面を眺めにきやしないから、僕の店をなんだと思つてる
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