実に遊楽する境地がなきや納得できやしませんです。戦争と兵隊は養命保身の至極の境地でして、なぜなら戦地における兵隊はあしたの食事の心配がいらない。米もない。酒もない。タバコもない。腹ペコでも、あしたのことは天まかせてえのは宇宙的なる心境でして、雨が降るみたいにお酒の降る日も女の降る日も肴の降る日もあるといふ夢と希望に天地を托す、一向に降る日のためしがなくとも天地を托してをるものでして、戦争と兵隊はまつたく宇宙そのものですな。魔法のラムプとか、ヒラケゴマとか、夢と人生をそこに托す、下の下ですよ。なぜなら所有するものは失ふです。兵隊は何も持たない。魔法も咒文も持たないです。だから宇宙を持つのです。しかるに天妙教が、すなはちその正体は戦争と兵隊でして、持てるものはみんな神様にさゝげる、田を売り払ひ屋敷を売り払ひ全部さゝげる、よつて宇宙を所有する、タイコをたゝいて踊つて、養命保身、深遠なるものですよ。酒店もまた養命保身の神域なんでして、持てるものはみんな酒店にさゝげる、よつて宇宙を所有する、お客様の心境をそこまで高めて差上げなきやいけませんや。けれども人間のあさましさ、一パイごとに女房を思ひ子を思ひ、泣く泣く酔つて、お金を払ふ、悲痛なる心境ですな。この切なさを救ふものは、たゞホドコシの心境あるのみでして、美人女給はいけません、お客がムリを重ねる、もう一杯、チェリオ、たべたくないお料理もとりよせる、涙溜息あるのみでして、禁酒を叫び、出家遁世の心ざし、朝ごとに発狂してゐるやうなものでさ、養命保身どころぢやないです。ホドコシの心境はムリがあつちや、いけませんです。乞食を見る、哀れを催す、お金をやる、するてえとチラとみた乞食のふところに十円札がゴチャ/\つまつてるんで地ダンダふむ、もと/\哀れを催すてえのがムリなんですな。聴音機のオバサンに限つて、人にムリを強要するところが全然そなはつてをらんのですよ。人間はおちぶれて乞食となりますが、彼女に限つておちぶれることがないから、乞食にもならない。彼女はかつて活版屋の女房でしたが、いつのまにやら女中となつた、しかし、あなた、彼女がおちぶれたわけぢやないんで、もと/\がさうあるべきものなんですな、女中は給金を貰ふですが、彼女は無給で、無給の女中、天才がなきややれませんとも。彼女は哀れでもなく、不潔でもなく、つまり、宇宙そのものでさ。どんなお客
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