、頭のネヂのゆるんだのや、狂信狐憑きのやうなのや、十一家族もゴチャゴチャと虱と共に雑居して朝晩タイコを叩いて踊つてゐる。月給千円、食事づきで雇ひたいと申しでると全員にわかに殺気立つて我も我もと申出るのを押しとゞめ一室をかりて一人づゝ口答試問を行ふ。出張テストといふわけで、狐憑き、三度自殺に失敗したといふのもゐるし、筋骨隆々眼光するどく悪憎の面醜の老婆、ほかの人雇つちやダメよ、みんな手癖が悪いからと声をひそめて忠告してくれる女もゐる、いづれも鬼気をひそめ妖気を放つ独自の風格者ぞろひであるが、天童は心乱れず、にこやかに坐つて、一々おごそかに応待する。
中に一人ビッコ、三十九歳、ヤブニラミの女がゐた。
「あなた、足がお悪い様子だが、運ぶ途中に徳利がひつくりかへるとかコップのカストリがこぼれやしないかな」
「いゝえ、心がけてをりますから、却つてほかの方よりも事故がないんですよ」
「さうですか、ぢや、いつぺん、やつて見せて下さい」
そこでお盆をかりてコップになみなみと水をみたして運ばせる。すると目のところへ捧げ持つてお盆のフチを鼻柱へくッつけて静々と徐行してくる。慎重に一足づゝすらせてくるからカタツムリの如くにのろい。
「ハハア、つまり神前へオミキを運ぶ要領ですな。然しお酒やお料理を運ぶとき、いつもその要領ぢやないでせう」
「いゝえ、私オミキなんか運んだことないですよ。物を運ぶとき、いつもかうです」
「するとそれは小笠原流ですか」
「いゝえ。私、目が悪いから、目のところへかう捧げてクッツケないと見えなくて危いからですよ」
「乱視だな。近視ですか」
「いゝえ、弱視といふんですよ。目のところへ近づけないとハッキリ見えないのね。だつてコップは透明ですもの」
「ごもつとも、ごもつとも。ぢやア、これを読んでごらんなさい」
と手帳をだして渡す。目から一寸五分ぐらゐのところへ押立てゝ甜《な》めるやうに読む。試みにお札を数へさせると、やつぱり目のさき一寸五分のところへかざしてノゾキ眼鏡をいぢくるやうに数へる。タバコが好きだといふからお喫ひなさいと箱を渡すとこれも目の先一寸五分へかざしてフタをひらいて一本ぬく。目玉からタバコをぬきだすやうに面白い。
「お客の顔が分りますか」
「人の顔は分りますよ。目の悪いせゐで耳のカンが鋭敏だから、後向きでも、気配で様子が分るんですよ。空襲のとき軍の見張
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