尚なのだ。富子は男の高い知性だけを愛してゐる自分がひどく優秀で、俗ならぬ深遠な恋を神に許された特別な女のやうに考へた。
そこで清人もこれは知識以外の他のすべてをみすぼらしくする方が却つて好かれる方法だと知るに至つた始末で、富子はお金持だから、奢つてくれたり、ウヰスキーを持つてきてくれたり、ネクタイをくれたり、洋服をつくつてくれたり、遂にはお金までくれる。彼は嬉しさうな一本の小皺も見せず面白くもないといふ顔付をしてそれを貰ふ。すると富子は清人が高雅で精神的そのものだと云つてひそかに大満足するといふ寸法で、だから清人は外見はなるべくみぢめ貧弱にして、精神的高さといふものだけ見せるといふ戦法にたよつた。
元来は十九の美少女と結婚するのも亦《また》面白しといふ発願であつたが、意外やお金持で色々おごつてくれるから、これはもうお金のためにもぜひとも娘をものにしなければならないのだと考へた。金が宇宙の中心だといふのは彼の説で、だから彼は哲学などは馬鹿らしくなつてしまつたのである。
終戦後、破壊のあとは万事享楽から復興するといふ彼の明察によつて、富子の母の旦那からお金を貰はせて、駅前の横町へバラックをたて、一杯飲み屋を始めた。彼はカントの流儀によつて哲学は又食通だといふ建前で、ソースなどは自分で作れるぐらゐ、昔は相当料理の本を読んで、牛の脳味噌、牛の尻尾、臓モツの料理、雉の腹へ色々の珍味をつめて焼きあげる奴、マカロニ料理からチャプスイに至るまで自ら料理のできるほど色々と通じてゐる。そこで八月十五日正午ラヂオの放送が君が代で終ると、よろしい、もう相手はアメリカだ、進駐軍の味覚を相手に料理の腕をふるつて、大いにお金をもうけ、新日本のチャムピオンとなつてやるんだ、と野心を起した。もとより富子は大賛成で、母の旦那にたのんで大金をだしてもらつた。
バラックの出来上つたころはもう進駐軍は日本の一般飲食店へは這入れぬ定めになつたけれども、元来がさういふ魂胆の設計だから、ちよつとあちらの一品料理屋といふ感じで、コック場などもあちらのお客の潔癖に応じて安心感を与へるやうに工夫がこらしてあるといふ心掛けである。沈思黙考の哲人たるもの処世に於て手ぬかりはなかつた筈だが、あちらのお客はダメだとなつて、なんだ、日本人か、バカバカしい、彼は料理の情熱がなくなつた。そこであちら名の気のきいた店名なぞ三ツ
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