常にそれを言つとる筈ではありませんか。金の在る無しによつて、人生は全く別な二つの世界に分れます。然し、なんだなア、最上先生みてえに、金々々つて言ひながら、毎日毎日、たゞもう飲んだくれてゐるてえ心理は分らねえ、先生はどうも偉すぎて、何を考へてゐるんだか、手がとゞかねえ。然し、彼は、実際に於て、日本随一の哲学者です」
 富子もその日は朝から心境がぐらついてゐた。出て行けと言はれて以来ひどく不安になつたので、出て行くことゝ、出て行けといふことは、結果に於ては出るといふ同じ事実に帰するけれども、これを受けとる心持には大いに差があり、出て行けと言はれる、なんとなく不安だ。
 うちの宿六はたゞ金銭の奴隷なのだから千客万来がモットーで、ちらと見た広告の文案も美人女給「数名」とある。こんなチッポケな店へ数名は無茶だが、宿六は実際さう考へてをるので、なんでもかでもエロサービス、ついでに自分も数名から代りばんこにサービスを受けるつもりに相違なく、富子が出て行く方がまつたく万事宿六の方には都合がよい。
 一方よければ一方悪しと云ふ通り、出たあとの富子の方はどうも分が悪い。えい、ヤケだ、とか、どんな苦労でも、とか考へてゐたが、宿六の方に分が良すぎるといふことを思ひ知ると、残念で、不安で、追んだされては大変だといふ気持になる。
 まつたく倉田の言ふ通り、亭主や女房は万人の貧乏クヂで、何度とりかへても亭主は亭主にすぎないだらう。ねてゐる現場を見つかつても知らぬ存ぜぬと言ひはれといふ、なるほど、浮気のコツはそのへんか。こゝは堪へ忍んで、瀬戸に退場してもらひ、千客万来、相手をみつけて浮気する。この浮気は始めはもつぱら金のためで、ヘソクリを十万百万とつみかさねて、それから瀬戸でも誰でも構はない、手当り次第に美男子と遊ぶんだ、もうかうなればこつちも金の鬼なんだ、宿六め、見てゐるがいゝ、さういふやうな気持になつた。
 ところが清人はその晩十時頃酔つ払つて店へ現れた。彼はお客といふものは酒のついでに女を口説きにくるものだと信じてゐるから、宿六の姿を見せては営業成績にかゝはるといふ深謀遠慮で、帰宅は毎晩一時二時、たまに店の終らぬうちに戻つてきても、客席へ顔を見せることがない。
 この晩は出て行け、カケオチしろといふ、その実行を促進、見届け役で、開店以来の宿六初登場といふことになつた。
 ところが店にはちやう
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