。僕は人間しか見てゐない。宇宙を見なくなつたから、宇宙を見なければ哲学者ぢやないんだ、と呟いたこともある。そして、まア、人間観察家とでも言ふんだらう。そのほかに情熱もないんだからと言つたりしたが、近頃ではもう人間観察家とも自称しない。僕は飲み屋の亭主だと答へるのである。彼が自分とは何者かハッキリ答へるやうになつたのは全く近頃のことであり、はじめて彼はいくらか生き生きと自分は何者か、自覚した様子であつた。彼は「タヌキ屋」といふ飲み屋の亭主に相違ない。
 彼は心中をやりそこねるまでは独身だつたが、その後女房を五人かへた。そのうち二人は女の方から逃げだし、二人は彼が追ひだして、五人目は戦争中つとめてゐた軍需会社へ徴用で入つてきた女で、待合の娘であつた。結婚したとき、娘はまだ女学校を卒業したばかり、十九であつたが、清人は四十であつた。
 これはまつたく「幻想的」な結婚であつたと富子は自ら述べてゐる。
 富子は生家の職業によつて幼少から男には馴れてをり、女学校の頃から大学生と映画見物にでかけたり、お客に旅行に連れて行つてもらつたり、然し実の心は芸者や遊客の生態に反感を覚えてゐると思つてゐた。その実さういふ生態に同化して育つてしまつたといふことには気がつかないだけの話であつた。
 芸者は義理人情だの伊達引《だてひき》だの金より心だの色々に表向きのお体裁はあるけれども、本心はみんな単純な男好きで、美男子好みで、旦那に隠れて若い色男と遊んでゐる。富子も美男子好みで、色男の大学生や若い将校などゝ映画見物や物を食べにでかけるのが好きであつたが、そのうちに、さういふ自分をだんだん軽蔑するやうになつてきた。つまり芸者の世界を軽蔑するやうになり、自分はもつと高尚な別な人間だといふ風に考へる習慣がついたのである。
 だから十八ぐらゐからの富子の書斎をのぞいた人は呆気にとられた筈で、アランだのヴァレリイだのベルグソンだのテーヌだの、小説でもスタンダール、ボルテール、メリメ、プルウスト、ヴァンヂャマン・コンスタン等々、それに美学の本がたくさんある。なんでも表題に美といふ字のある有難さうな本はみんな買つたといふ感じなのだが、まつたく又一生懸命に読んだものだ。
 徴用の会社で清人と同時にまだ大学を出たばかりの美男子の技術家にも言ひよられ、待合へ遊びにきた青年将校にも結婚を申込まれて、これが又絶世の美男
前へ 次へ
全82ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング