も救はれ先生も亦救はれる。つまり学問てえものはイキなものなんだな。ヤボを憎む、これが学問の精神ぢやありませんか。私みてえなヤボテンはビール三百五十円、お酒一合二百円、驚き、慌て、かつ、腹を立てますよ。よつて、水を下さい、と至つて有りふれた皮肉の一つも弄するやうなサモシイ性根になつてしまふ、然しその時天下第一の哲学者最上先生ともあらう御方が、ヒヤカシはいけない、ショーバイだから、そんな手はないね。ミズテン芸者も気のきいたのは、ウチの水道栓は酒瓶に沿つて流れてゐるからアルコールが沁みてゐるよ、ぐらゐの返事は致しますよ。ビール三百五十円、お銚子二百円、さすがに見上げた度胸だなア。マーケットの俄か旦那の新興精神ぢやアこゝまで向ふ見ずに威勢を張る覚悟はないから、これは学の力です。一朝にして高価のわけぢやアない、昔から高い、益々高い、流行を無視して一貫した心棒のあるところがサスガだけれど、然し、あなた、たまたま私みたいなヒヤカシの風来坊が現れる、これも浮世のならひですから、風来坊に対処してイキに捌《さば》く、これも亦学のネウチなんだなア。学問は救ひでなきやいけません。血も涙もないてえのは美事なことだけど、それは精神に於ての話で、表向きのアシラヒはいと和やかでなければならんです」
「イキなんてものが見たけりや待合とか然るべき場所へ行くことさ。僕のところぢや専ら中毒患者とギリギリの餓鬼道で折衝してるんだから、アルコールの売買以外に風流のさしこむ余地有りやしないね」
「なるほどなア。時代はたうとうギリギリの餓鬼道でアルコールの取引をするところまで来たのかなア。するてえと、飲み屋のオヤヂは女郎屋のオヤヂとヤリテ婆アを兼ねたやうなものなんだな。然し最上先生、昔から色餓鬼てえ言葉はあつても、酒餓鬼てえ言葉のなかつたところに、酒と女に本質的な違ひが有るんぢやないかな。然しアルコールも亦餓鬼道の取引だといふ先生の思想ならメチルによつて餓鬼の二三十匹引導を渡してみるのも壮快でせう。私は然し餓鬼てえものは、どうも、やつばり、人間は餓鬼ぢやアねえだらうな」
「人間は餓鬼ぢやないさ。僕と、この店のお客だけが餓鬼なんだよ」
 と最上清人はうそぶいたが、然し、心中おだやかではなかつた。
 最上清人は自らの思想によつて、又、自らの思想の果の行為と境遇によつて、首をくゝるギリギリのところまで追ひつめられてゐた
前へ 次へ
全82ページ中52ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング