学とは完全に縁が切れてゐる。そのくせ文学の奥義をあみだし、一宗の教祖となる、これ実に邪教である。
西行も実朝も地獄を見た。陰惨な罪業深い地獄、物悲しい優しい美しい地獄。そして西行の一生は「いかにすべき我心」また、孤独といふ得体の知れぬものについての言葉なき苦吟をやめたことがなかつたし、実朝は殺されたが然し実朝の心はこれを自殺と見たかも知れぬ、と言ふ。まさしく、その通りだ。邪教も亦、真理を説くか。璽光《じこう》様が天照大神《あまてらすおおみかみ》の生れ変りの如くに。
「西行はなぜ出家したか、その原因に就いて西行研究家は多忙なのであるが、僕には興味がないことだ。凡そ詩人を解するには、その努めて現はさうとしたところを極めるがよろしく、努めて忘れようとして隠さうとしたところを詮索したとて、何が得られるものでもない」(西行)
そして近代文学といふ奴は仮面を脱げ、素面を見せよ、そんなことばかり喚いて駈けだして、女々しい毒念が方図もなくひろがつて、罰が当つてしまつたんだ、と仰有る。
然り、詩人を解すには、詩を読むだけで沢山だ。こんなこともした、こんな一面もあつた、と詮索して同類発見を喜んだとこ
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