くぐっているのか」
 と意外な疑問を発して、教授会をシンとさせたことがあったのである。
 緒方は校庭の牛を眺めながらイマイマしそうに考えた。
「果して彼に生きる目的があるのか」
 別に憎いわけではないが、あの不死身の精気がなんとなくバカバカしくて仕方がない。
 冬の寒いたそがれであった。山寄りの土地だからただでも寒気がきびしいのに、カラッ風が最高潮に達して吹きまくっているから校舎は鳴動し、ストーブにいくら石炭をついでも、一陣の隙間風が吹き通ると、鋭い刃物で骨のシンまで斬られたような痛みを覚える。
 カラッ風というのは地域的に毎日のように吹く風であるが、その最高潮に達したときには秒速二十メートルをこえ、ちょッとした颱風《たいふう》と同じぐらいの荒れ方で、腕の太さの枝をポキポキ折って吹きとばす。今がその最高潮であった。
「牛がランニングシャツ一枚で走っているから、人間も外套を着れば歩けるだろう」
 緒方はこう呟いて家路についた。校庭をハスに横切ると半分以下のミチノリでわが家に達する。
 彼が校庭にさしかかったとき、牛が再びラストスパートをかけてゴールに達したところであった。骨をぬかれたのか大きな図体がねじくれてよろけながらドサッと大地にめりこんだ。牛は土を吸って身もだえている。
 しかし、緒方がその近くまで達したときには、牛はもう起き上っていた。どうやら練習は終ったらしく、片手には着類をだき、片手にはカバンをぶらさげたところであった。
 いずこに至って着類を身につけるツモリであるかと緒方はいぶかった。いかに練習の直後とはいえ、この寒風を感じないのは世の常のものとは思われない。牛の肌にはリンゴの色を淡くとかしたような光沢があった。
 緒方はちょッとからかってみたい気持になった。
「君は柔道も強いそうだな」
 牛は童児のように柔和な目に笑みをたたえた。
「腕ッ節が強くて脚が達者ときては、君がお巡りになると、泥棒が泣くぜ。大学なんぞ切りあげて、泥棒泣かせをやるがいいな」
 むろん緒方はその意外な結果を予期してはいなかった。なんの感動もあり得まい。なぜなら感受性が欠けているのだから。たぶんこの牛は人語を正当に解することも知らないだろうと緒方は考えていたのであった。
 ところが牛は緒方の言葉をきき終ると、片手にかかえていた着類をポロポロととり落した。つづいて片手のカバンを落した。
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