いが、仲間にきいてみたら分るでしょう。なんてましたッけ? エンゼル。へ。ちょッと、お待ちなさい」
ジイサンは靴ミガキ仲間のいかにもアンチャンらしいのとヒソヒソ話し合っていたが、やがて、雑沓の中へ消えてしまった。
四五人分も靴をみがけるぐらいの時間をかけて汗をふきふき戻ってきた。
「ヘエ。これなんです」
なんでもないように渡された紙片に、二ツの所番地と、野中幸吉という姓名が記されていた。
「この野中がエンゼルの本名なんです。百万円もかけて普請した立派なウチに住んでるそうですぜ。千坪からの花園をもってるそうでさア。花束を卸してるんだそうですなア。商魂抜群のアンチャンだそうで」
甚だ意外な話であった。
「それじゃア、愚連隊どころか、立派な商人じゃありませんか」
「私だって、そう思いましたよ。きいてみると、そうでもないねえ。屋敷や花園の敷地だって、焼跡を勝手に拝借したもの、花売りだって因業な商売してるんだそうです。商魂があって、金ができるし、隆々と、いい顔だそうですよ」
ジイサンは他の所番地を示した。そこはアパートであった。
「このアパートがね。新築するまで住んでたとこで、今でもここにいくつか部屋を持ってるンだそうですがね」
住所はいたって簡単にわかってしまった。百万もかけて新築して、千坪からの花園をつくって商売しているからには、世を忍ぶ必要はないのだろう。
放二はジイサンにムリにお金をにぎらせて別れた。記代子の居るのはアパートだろうと思ったが、先ず本宅へ伺うのが礼義であるから、そう遠くないお屋敷町の焼跡へでかけた。
誰の屋敷跡だか、二千坪ぐらいの焼跡をそっくり拝借したものらしい。表側だけコンクリートの塀が焼け残っているが、三方には二間ぐらいの厚板の高塀をめぐらしている。木材だけでも相当の金がかかったであろう。しかし、そのほかには、家をのぞいて、金のかかったものがない。一本の樹木もなかった。裏は一面の花園らしい。門をはいると、隅の方で犬が吠えた。見ると、吠えている一匹のほかに、シェパードが二匹、雑種の猛犬らしいのが一匹、こっちを睨んでいた。家は花園の片隅に、小さな一隅を占めているにすぎなかった。二階屋の七八間ぐらいの小ザッパリした普請であった。
取次にでたのは、若いアンチャンであった。そんなのが、幾人もゴロゴロしているようであった。
放二はいっさい隠さなかった。名刺を渡して、
「大庭先生と社長の言いつけで、大庭記代子とおッしゃる方を探している者ですが、当家にかくまっていただいてるとききましたので、お目にかからせていただきに上りました。御主人にお目にかかって、くわしい事情を申上げたく存じますが、野中さんは御在宅でしょうか」
アンチャンは黙ってスッとひッこんだ。
十
別のアンチャンがでてきたが、返事にきたのかと思うと、下駄を突っかけて、放二をすりぬけて、門に鍵をかけに行った。戻ってきて、凄い笑いをチラリと見せて、
「いつも、こうして鍵をかけておくんだけど、今日はどうしたことか、あんたが迷いこんできたから、泡をくったのさ」
そう言いすてて姿を消した。それから、実に卅分間ぐらい、音沙汰がなかった。
記代子が現にここに居たのを移動させているのだろうか、と放二は想像をめぐらした。あるいは放二を料理するための準備中かも知れない。そして、こんな場合に彼が蒙りそうないろんな料理のされ方を考えて、ジタバタしてもはじまらないから、とにかく身にふりかかる宿命をそっくりうけることにしようと心を決めた。身にふりかかる危険を払いおとす器用な才覚もなければ、鵞鳥の半分ぐらいの早さで逃げる体力もなかった。
三人のアンチャンが彼の目の前を素通りした。隣室でガタガタ何かやっていたが、また、素通りして姿を消した。彼が返事をうけたのは、ようやく、その後であった。
彼は、さっき四人がガタガタやった隣室へ招じられた。大きな丸テーブルに四ツの肱掛イスという応接間だが、造りは和風で、格子戸がはまっている。
「ちょッと、待って、チョーダイナア」
アンチャンは変テコな女の声色で、目の玉をギロリとむいて笑いながらひッこんだ。
入れ代って、無造作に現れたのは、色のまッしろな好男子である。ギリシャ型の鼻筋が通り、目は深く、すんでいる。水もしたたるような、西洋型の明るい美貌で、どこにも凄味というものがない。ただ肩幅ひろく、胸は厚く張り、腕は逞しく隆々としていた。年は二十四五であろう。
「ぼくが野中です。どうぞ、お楽に」
と、気楽に言ってイスにかけたが、その顔は明るい。青木のなぐられたのも好男子の愚連隊だというが、この男たは、そんなことをしそうな風が見うけられなかった。
「あなたは、どこの戦地へいらしたのですか」
エンゼルは、卓上のタバコをとって火をつけて、そんなことから話しはじめた。
「ぼくは病弱ですから、兵隊にとられなかったのです」
「ぼくは四国にいたのですが、隊長の命令で、花キチガイのオジイサンのところへ調査に行ったことがありました。このジイサンはお花畑の一部分をどうしても野菜畑にしないのです。二段歩ぐらいでしたが、当時二段の畑と言えば、財宝ですよ。土地で大問題となっていたんですが、ジイサン、頑固でどうしても承知しないんです。そのうちに、お花畑の赤い色が敵機を誘導する目標だ、スパイだという密告です。すてておけませんからぼくが調査に行ったんですが、場合によっては、花をひっこぬいて掘りかえしてしまえ、というような命令だったんです。ところがキチガイジイサンのお説教をくらいましてね。コンコンと一時間、アベコベですよ。花にうちこむ愛情は至高なものです。そこで、ぼくは隊長に復命しましたよ。ジイサンがあんまり頑固だから不満の住民からスパイの噂がでただけで、ジイサンの花に対する無垢の愛情は、天を感動せしむるものあり、とですね。あのお花畑はカンベンしてやって下さい、とたのんでやったんです。終戦後、このジイサンに十日間ほどもてなされて、花つくりの要領を教えてもらいました」
エンゼルの話しッぷりには、なんの下心もないようだった。
十一
放二は自分からきりだした。
「なんの紹介もなしに、とつぜんあがりましたのに、お会いさせていただけて、ありがたく存じております。ぼくと同じ社で、同じ部に勤めていらッしゃる大庭記代子さんという方が、先週の金曜以来、行方不明なのです。この方は大庭長平先生の姪で、ぼくは社で先生の係りですから、大庭先生と社長から、記代子さんの行方を捜すようにと命令をうけたのです。記代子さんは大庭先生のお友だちで、青木とおッしゃる方と恋仲で、ニンシンしていらしたそうです。青木さんは大庭先生と同年配のお年寄のことですし、それまでに、ちょッとした行きがかりがありまして、先生も社長もこの恋愛には御賛成でなかったようです。で、煩悶されたようですが、会社での態度は明朗で、家出後に、社外の方からお話をうけたまわるまでは、我々一同不覚にも記代子さんの御心中を察することができなかったのです。自殺の怖れもありますが、世間に知れて記代子さんに傷のつかぬようにとの社長の配慮で、密々にぼくが捜査を一任されたのでした。方々をききまわるうちに、記代子さんが、こちらのお世話を受けているらしい、という噂をきいたのです。このことは、大庭先生にも社長にも、まだ申上げておりません。ぼくの一存で、真疑をたしかめに伺ったのですが、記代子さんについて御心当りがありましたら、教えていただきたいのです」
エンゼルはちょッと間をもたせたが、いとも簡単に答えた。
「ええ、よく知っております」
彼は無邪気な笑顔を見せた。
「しかし、このように御返事すべきか、どうか。まだその時期ではないんじゃないか、ということで、あなたを大そうお待たせしましたが、ぼくたちは相談していたのですよ」
「記代予さんは二階にいらッしゃるんですか」
「そうです。そして、この家の主婦ですよ。野中の妻、記代子なんです。ぼくたちは、愛し合っています。ぼくが花を愛すように、記代子も花を愛します。しかし、ぼくたち同志は、花以上に愛しあっているのです。四国のジイサンに面目ない話ですが」
そして、エンゼルは高笑いした。
放二はうなずいた。
「そうなることに、フシギはありません。記代子さんは、御元気でしょうか」
「むろん、大変、元気です。そして、毎日、好キゲンですよ。もっとも、あなたの来訪で、ちょッと憂鬱でしたがね。実は、二三日中に、お腹の子をおろすはずです。記代子は、ぼくの子が生みたいのです。そして、ぼくも、記代子とぼくの子が欲しいのです」
キッピイがエンゼルにすすめたという企みの話を思いだして、放二はちょッと警戒したが、エンゼルの顔色から何も読みだすことができなかった。
顔だちから、人を判断することはできないものだ。澄んだ目や、無邪気な明るい顔から、額面通りの素行をうけとるのは考えものである。どんな人間も根は同じものだ。自分も人も変りがないというのが放二の考え方である。世の中に悪党はいないし、みんな悪党でもある。そして、放二は、人間の裏の心を考えずに、表に見せているものを信用すればタクサンだと思うようにしていた。どんなに裏切られてもかまわない。警戒しても、裏切られるものである。
「命令をうけておりますので、記代子さんに会わせていただけませんか」
こう、たのむと、
「ええ。彼女の返事をきいてきます」
エンゼルはあっさり立去った。
十二
エンゼルは記代子をつれて現れた。
記代子の顔は晴れていた。一礼して、
「いらッしゃいませ」
と言ったが、それは主婦が来客に対する態度であり、言葉であった。
「ごらんの通りですよ。どうぞ御安心下さいと叔父さんや社長におつたえ下さい。記代子はぼくに同席してくれと言いますが、ぼくは遠慮しますよ。どうぞ、御二人で腹蔵なく話し合って下さい」
そして、記代子に、
「話がすんだら、知らせてね」
と、やさしく言いかけて、姿を消した。
エンゼルが去ると、記代子の態度は硬化した。
「私、幸福よ」
まるで宣言であった。
「ハア。ぼくも、野中さんからのお話で、だいたい、そのように思っていました」
放二はやわらかく受けて、
「ですが、先生も社長も御心配ですから、一度、戻っていただけませんか」
記代子は苦笑した。
「誰も私のことなんか心配してやしないわ」
放二はうなずいて、
「そうお思いになるのも当然です。利己的な場合のほかに、本当に心配している関係は、有りえないかと思います」
「野中はエンジェルと言うのよ。そして、私の本当のエンジェルだわ。本当に私を心配してくれるのはあの人だけ」
「そうです。恋愛は利己的ですから。そして、青木さんも本当に心配しています」
記代子は苦笑した。
「あなた、私の居場所つきとめて、どうするツモリなの?」
「いちど戻ってきて、先生や社長に会っていただきたいのです。ぼくの報告だけでは、納得して下さらないでしょうから。そのとき、御意志に反するようなことは決していたしません。もしも先生方がそのような処置をおとりの際には、ぼくが責任をもって、あなたの意志をまもります」
記代子は軽蔑しきって、白い目をした。
「責任をとるッて、どんなこと? できもしないこと、おッしゃるわね。あなたは何も実行したことないじゃないの。あなたは人をだますのが商売でしょう」
「ぼくの誠意が足らなかったのです。努力も足らなかったと思います。ですが、今度は、約束を裏切るようなことは致しません。ここへ戻りたいと仰有るのに、先生方が戻さないと仰有ったら、命に賭けて、おつれ戻しいたします」
「命に賭けて、なんて、そんなに安ッぽく、生意気なことを言うから、人格ゼロなのよ。エンジェルは若い人がそんな軽薄なことを云うと、怒るわ。できもしないこと、言うな、ッて。千万人の若者が戦地で苦労してるとき、たった一人、戦争もできなかったあなたは、そのことだけでも人間失格よ。口はばった
前へ
次へ
全40ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング