メをまくしたてた。無感情に。そして青木を刺し殺すように言葉をきった。
 青木などは頭になかった。この名刺持参の者、と、わざと無記名の紹介状を青木に持たしてよこした大庭長平が憎いのである。御引見の栄をたまわりたし、と皮肉な敬語の裏に、おごりたかぶったキザなウヌボレが見えすいている。長平への戦闘意識で、頭の中はモウモウといっぱいだった。
「成功すれば後援者から独立できるのよ。きっと、成功するわ。なぜって、莫大な援助なのよ。事業の成功率なんて、出だしの資金次第だと思うの。事業の実質的な主権を私が握れたらね。それは夢じゃないでしょう。いいえ、必ず実現してみせる。それも、遠くないうちに。そしたら、あなたにも、どんな約束だって、果してあげられるわ。あなたが私のためにして下さった何十倍の物もね」
 思いやりを含めたような言い方をしながら、侮蔑、嘲笑が露骨であった。
 青木の癇は鋭どすぎて、弱すぎる。関所のニセ手形がゲキリンにふれるのも仕方がないな、と、あきらめて、
「大阪の事業団体て、だれ?」
「極秘よ。まだ、いえない。御想像にまかせるわ。銀行屋さんでも、紙屋さんでも、印刷屋さんでも、高利貸でも」
「すると、その中のどれでもないわけだ」
 青木のそんな利いた風な言い方ぐらい、厭気ざしたら、我慢のならぬものはない。
「どこかで、休もうよ」
 と、青木が云うのに耳もかさず、颯々《さっさっ》と歩きつづけて、
「大阪と東京を股にかけて、女手ひとつでしょう。身体をもたせるのが、たいへん。でも、死ぬまで、やるの。ほら、ごらんなさい。毎日、ブドウ糖を」
 腕の静脈をだして見せた。青木は物欲しさをそそられる代りに、苦笑を返して、
「今からそれじゃア、大成おぼつかないぜ」
「私の雑誌はね。創刊号に七十万刷ります。三号には、百万にして見せるわ。私の欲しいのは、時間だけ。ただ、忙しいの。十分間が一日の休養の全部だわ。これじゃア、大成おぼつかないわね。じやア、失礼させていただくわ。いずれ、又、ゆっくりね」
 せつ子は自動車をとめた。そして、悠々とのりこんだ。他の誰とも人種の違う人のように。

       五

「ちょっとドライヴしてちょうだい。そう。海の香のするあたり。聖路加病院の河岸がいいわ」
 そう運転手に命じて、せつ子はクッションにもたれた。長平の名刺をとりだして見た。名刺持参の者に御引見の栄をたまわりたし。見れば見るほど、底意地のわるさが伝わってくる。破り捨てようとしかけたが、大切に、ハンドバッグへしまいこんだ。名刺を破りすてるぐらい、いつでも、誰でもできることだ。小さな腹いせは、その小さな満足によって、敗北のシルシにすぎない。そして名刺をしまいこむと、いつからか、あるいは、たぶん昨日からかも知れないが、雄大な新たな自己が生れつゝあることを知って、満足した。
「山手を走って。議事堂へんね」
 そして放二の社へ辿りついたときには、晴れ晴れとした自分を見出すことができた。
「御招待の席を変えたのよ」
 せつ子は放二にささやいた。
「築地の疑雨亭という料亭。待合かしら。古風で、渋くッて、それで堂々としていてね。大庭先生がお好きになりそうなウチなのよ。そこへお連れしてちょうだいな。ここに地図があります」
「ハア」
「大庭先生は、どんな芸者が、お好き」
「わかりません」
「美人で、娼婦型で、虫も殺さぬ顔で悪いことをしているような人?」
「どうでしょうか」
「案外、あたりまえの、つまらない美人がお好きなのね」
「さア。見当がつかないのです」
「芸者遊びはなさらないの」
「なさるでしょうが、ぼくはその方面の先生の生活にタッチしたことはありません」
「放二さんはオバカサンね。先輩に接触したら、裏面の生活を見る方が勉強になるわ」
「ぼくは反対だと思うのです」
「どうして?」
「遊ぶときは、誰でも、同じぐらい利巧で、同じぐらいバカだと思うのです」
「マジメの時は?」
「ぼくは、まだ、人生で何が尊いものだか、わからないのです」
「せいぜい、長生きなさい」
 せつ子はバカらしくなったが、気持を変えて、
「大庭先生は短気の方?」
「いいえ。むしろ、寛大です」
「しかし、皮肉家ね」
「いいえ。いたわりの心が特に先生の長所だと思います」
「私のこと、どんな風に考えてらッしゃるらしいの?」
「今のところ白紙だろうと思いますが」
 放二は考えて、
「ありのままのあなたは、先生の一番近い距離にいる女の方だと思うのですが」
「一番近い距離って、なんのこと」
「魂のふれあう位置です」
 別れて去ろうとすると、放二がよびとめた。
「小さな反撥や身構えはいけないと思います。ほんとうの奥底に通じあう道をはばみます」
「なんのこと?」
 せつ子の目が光った。名刺の件を知っているのかと思ったのだ。せつ子
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