ができたから喜んでくれッて」
「まさか」
「じゃア、大きなお世話じゃありませんか。人の色話はよしましょうよ。もっとも、口惜しい、というのなら、ま、ごもっとも、合槌ぐらいうつ気持にはなれますがね」
「私、ホッとしましたのよ。どなたか見てあげなければ、青木は淋しくって、やってけない人なんです」
礼子は言いはった。強情なところはなくて、素直でシミジミした述懐のようだった。
別れた妻としてはそうあるべきかも知れないが、長平の気持には、ひッかかった。要するに言わない方がよい性質のキザな文句だ。
礼子は長平のヒガミ根性にはとりあわず、放二に向って、
「梶せつ子さんて、どんな方? 物ごとをテキパキ手際よく処理なさる方? そして、それが容姿にあらわれて、スラリと、小牛ぐらいも大きくてユッタリとしたペルシャ犬のような方かしら」
「そうかも知れません。ペルシャ犬は知りませんが」
「義理人情に負けない方。しかし、どっちかと云えば、あたたかい感じ。表面はね。姐御肌、いえ、女社長タイプというのね。あわれみ深いんだわ。恋人をあわれむけど、愛せない方。恋人は愛犬。そして、本物の犬はお嫌いでしょう、その方」
「そうでもありません。ぼくには弱々しい人に見えます。仕事に身を託して、孤独と悲哀をようやくせきとめておられるようです」
「そうでしょうか」
礼子はクスクス笑って、
「知らない方のことを、私がなんですけど、三十女はそんなに詩的じゃありませんわ」
皮肉なところはミジンもなかった。むしろ親愛の情とイタワリをこめて、礼子はこう言っているのだ。
してみると、梶せつ子と放二の特別な関係を知らないのかな、と長平は思った。少年期からただ一人のせつ子を思いつめて成人した孤児の放二。それを知ってる礼子なら、皮肉の色は隠せなかろう。
礼子の洞察によると、放二の立場も青木同様、スラリと小牛ほどもユッタリした女の愛犬というわけだ。どうやらこの観察は当っているな、と長平は思った。
九
「梶せつ子のことが御心配なら、それを北川君に問いただすのは筋違いですよ。センサクの鋭鋒はあげて夫君に向けらるべきものですよ。青木君も、あなたを忘れかねているのですよ。今もって最も尊敬していると云いましたね。亭主と女房の関係においてはメッタに使わぬ言葉ですが、十年もつれそって、別居して、いまだに最も等敬してるというんですから、おだやかならん表現ですね。なにをか云わんや」
礼子はそれに答えずに、考えこんだ。
顔をあげて、長平の目を見つめたが、
「私、どうすれば、よろしいのでしょう」
ジッと見つめて、視線は放れない。屁理窟ではごまかされませんと、礼子の気魄が語っている。しかし、こんな気魄というものは、いわば非常時的なもので、平時の心がこれをマトモに相手にすると、無用な傷もつくらねばならない。一方的な気魄よりは、空論の方が、まだマシだ。長平は空々しく、
「御自分で、おきめなさい」
いと簡単に突ッぱねる。
そんな言葉は相手にしません、と礼子の全身の気魄も語っている。
一段と、たたみこんで、
「私が無用な存在だとおッしゃって下されば、私は死にます」
視線は益々放れない。
しかし、長平も、たじろがなかった。
「会話というものは、急所にピンとふれていなくては、こまるものです。ぼくたちの場合、急所がどこにあるか、先ずそれを考えようではありませんか。急所はずれのキワドイ文句を述べ合ったんじゃ、カケアイ漫才じゃありませんか」
まさしく茶番にほかならない。かほどの茶番を自覚しない礼子のリリしさ、高慢さが、長平をいらだたせた。
「あなたとぼくのオツキアイの上で、ぼくの一存で、あなたの生死が左右できるようなイワレがあったでしょうか。かりにも一人の生死にかかわることであれば、ぼくも責任をもちたいとは思いますが、イワレなく責任をもつわけにはいきません。あなたは健全な常識を身につけた方でしたが、かりに立場をかえて、あなたがよその男から、同じことを持ちかけられた場合を考えていただきたいと思います」
「非常識は承知いたしております。ですが、ただ御返事をいただくだけでよろしいのですが、それも御迷惑でしょうか」
「それがですよ。返事の仕様のない場合も、あるものですよ。一方の感情がたかぶりすぎて、非常事態宣言の線を突破しているときには、平時の安眠にふける庶民の魂は、ついて行けないのが自然です。たとえば、です。夜道にオイハギにやられつつある男が、たまたま通りかかった人に、助けをよびかけます。これに対して、よびかけられた方は返事の仕様がありませんよ。余は武術のタシナミもなく、非力であるから、助けたい気持もあるが、兇器をもてるオイハギに立ちむかって汝を助ける力量はないと自覚している。余としては、侠気と
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