いることがイノチのようなこの古都へきて、過去を忘れた気持になれるなんて、フシギなものだ、と記代子は思った。覇気のない古い都。乙女心には、灰色の街のように魅力のない土地であったが、今はただ生き生きと明るい。新鮮だ。
そして、青木に対しても、その親切に感謝する素直な気持が生れていた。彼女は家路を走る自動車の中で青木に云った。
「京都はすばらしいわ。もう東京へ行きたいと思わないわ」
ウットリと甘い夢を見ているようだ。青木は夜気が一そう身にしむような膚寒い思いがした。肚の中で、こまった子供だと舌打ちした。
「京都は落付いた町ですよ。しかし」
「しかし、なによ」
「京都に甘えてもいけないし、東京を怖れてもいけませんや。そして……」
青木は悲しくなった。自分だって、記代子と同じことじゃないか。五十にもなって。
「そして、私は生れ変ったと思うのよ」
記代子の独語は生き生きとしていた。
十二
翌朝、新たな第一日の目ざめをむかえても、記代子の胸のふくらみはつづいていた。冷静な考え方も、かなりチミツな計算力もとりもどしたが、希望の明るさを消す力にはならなかった。むろん、いろいろな不安がないことはない。しかし、それをムリに押し殺す必要はなかった。希望がそれにたちまさっていたからである。
「ホウ。顔色がさえているね」
朝の第一の挨拶に、青木はすかさずこう呼びかけた。青木はそれを喜びもしたが、それがいつまで続くことか、という暗い思いが、同時にひらめいているのであった。
こうして記代子の顔色がにわかに安直に冴えるのを見ると、青木がつくづく感じるのは自分と記代子の距離であった。ひところ二人がママゴトめいた関係をもったこと、記代子がニンシンしたこと。夢のようだ。
「ひどいことをしたもんだなア」
青木はいくらか羞じて、間のわるい気持になるのであった。なぜなら、二人の距離の距たりがひどすぎるからだ。今になって、どうしてこんなに目立つのだろう、青木はそれをフシギに思った。
「なア。記代子さん。ぼくの云った通りだろう。京都へ戻って、よかったろうがね」
「そうよ。だけど、どうして今朝になって、そう云うのよ。ゆうべ、京都へ戻って良かったと云ったとき、あなた、なんと云った?」
「そうか。魔が掠めたんだね」
「あら、おもしろい。ゆうべは私に魔がついていたの」
「いいえ。ワタシにさ」
「なんだ。つまんない。いつもじゃないの」
「ホウ。ぼくにいつも魔がついていますか」
「そうよ」
「見えますか」
「見えるわ。貧乏神がついているのよ。それも変に見栄坊で気位の高い貧乏神なのよ。自分の貧乏性もよく分るけど、ほかの人の方がもっと貧乏性に見えるらしいのね。で、いたわったり、同情したり、泣いてあげたりするのよ。気位が高くッて、センチなのね。あなたの貧乏神は」
「やれやれ」
青木はガッカリした。当らずといえども遠からずである。
しかし、貧乏性とは、この際、適切な言葉だと青木は思った。これを気取って云えば、知性と云えないこともない。彼の場合は、そうなのである。彼の性格をめぐる理が、そうなのだから。
それに対して、記代子は貧乏性ではないのかも知れない。そうだとすれば、そのことは彼女の無智をおぎなって余りある美徳なのかも知れない。それが二人の大きな距離の一つかも知れなかった。
「ぼくは貧乏性だとさ。このお嬢さんがそう仰有ったのさ。見栄坊でセンチな貧乏神がついてるのだそうですよ」
三人集った席で青木が云うと、長平は笑いもしないで、
「で、記代子は、どうなんだ?」
「あら、私は……」
「ぼくは、こう思うよ。英雄、帝王のAクラスにも貧乏性はあるもんだよ。秀吉だの、ヒットラアでも、そう見えないかね。そして、誰だって、そうじゃないかね。それに気がつくと、みんなそうなのさ。知らない奴が一番幸福なんだ。だから幸福なんてものは願う必要がないし、それにも拘らず、知らない奴はたしかに幸福に相違ないよ」
そして、記代子に云った。
「お前さんは進んで不幸を愛すな。苦しいことには背中をむけなよ。そうこうするうちに、なんとか、ならア」
十三
放二が死んだという報らせがきたのは、青木がまだ京都にいるうちだった。せつ子からの電話であった。長平は葬儀万端彼女に託して、上京を見合せた。青木が京都にいてくれたのは便利であった。電話では足りない用を彼に託して帰京してもらうことにした。
「彼は若年にして陋巷《ろうこう》に窮死するのが、むしろ幸福なのさ」
と、青木は放二の死を批評した。彼は元来、放二の生き方を高く評価していなかった。
「彼はアプレゲールの逆説派にすぎんですよ。ロシヤ的ストイシズム、特にドストエフスキーの安直な申し子さ。白痴的善意主義の亡魂、悪霊というもんですよ
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