記代子がさえぎって、
「でも私たちから、お願いしてみることはできてよ。お願いもしないうちから、そうときめてしまうのは、弱気すぎやしないこと。私、断然、お願いしてあげるわ」
「素敵だこと。放二さんには、あなたのような明朗なリーダアが必要なのね。さもないとハムレットになりかねないわ。記代子さんが現れて下さったから、大安心よ」
放二は深く澄んだ目で、せつ子を見つめていたが、
「ぼくたちには本当のことを教えて下さい。青木さんも金主の一人ではないのでしょうか。共同経営のようにうかがってましたが」
「ちがいます」
せつ子はきびしく否定して、
「あの方の話は止しましょう。私がまちがっていたのです。あの方の境遇に同情したことが。事業に同情は禁物なの。心を鬼にしなければいけないのね。忘れたいことを思いださせてはいけませんよ」
「そのために青木さんは自殺なさるかも知れません」
「事業に同情は禁物なのです」
せつ子の目に断乎たる命令の火焔がもえ狂った。放二はそれを正視して、素直にうなずいた。
七
せつ子はただちに反省した。放二に威圧を加える様を記代子に見せるのは得策ではない。心のひろいオ姉サンぶりを見せて、小娘の信頼をかちうることが大切である。
せつ子はニッコリ笑って、
「私はね。この事業にイノチをうちこむのよ。私はそんなふうに生れついた女ですから。記代子さんは良妻賢母に生れついた方。結婚までの社会見学に働いてみる程度の軽い気持でなければいけないのよ。人はそれぞれの持ち前によって生き方を変えなければならないのね。私のように、世間並の奥さんにおさまるには、鼻ッ柱が強すぎるし、芸術家の素質はなし、中途半端なのよ。女としては、中途半端はこまるものだわね。女らしさを殺さなければ、生きぬけないらしいからよ」
実際はその反対だ。男に伍して生きぬくためには、最大限に女の素質を生かすことが必要なものだ。
男というものは、自分の生活の足場のために必要なものであるから、己れは常に男たちには魅惑的な存在でなければならず、秘密のヴェールにつつまれていなければならぬ。
己れに近づく男は、己れの主人の如くであるか、己れが主人の如くであるか、そのいずれかで、対等のものは近づくことを許されない。
それがせつ子の生き方であった。恋愛というムダで病的な感傷を自分の人生から切りすてていた。
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