で、
「じゃア、お気をつけて。大庭先生によろしくね」
 こうして二人は京都へたった。
「ねえ、記代子さん。彼女は敬服すべき手腕家だよ。しかし、金のかかる手腕だなア」
 記代子もつりこまれてニッコリして、
「ほんとね。私のようなチンピラにまでこんなことして、叔父様なんかにはどんなプレゼントするのかしら」
「ナニ、長平さんにはお金いらずのプレゼントがあるのさ」
 と青木が皮肉ると、
「ヤキモチヤキね」
 横目で睨んだ。記代子のキゲンは直っていた。

       九

 青木は半日の汽車旅行で、女の一生ということを変にシミジミと考えさせられた。子供をもたない彼は、そういうことを身にしみて考えたことがなかったのである。
 記代子の多難な経験は、彼女に多少の悪変化を与えたが、三文の得にもならなかったようである。目立った変化といえば、彼女は頑固になっていた。過去のアヤマチを後悔せず、むしろアヤマチとして見ていなかった。自分の過去を客観的に省察してその結論を得たのではなく、人々への敵意によってアヤマチと見ることをテンから拒否しているのである。人の批判もうけつけない。人の言葉を感情的に反ぱつする完全な城壁をかまえたが考えることを失ってしまったのである。過去のいかなる経験も、生きるはずがないのである。一そうバカになったようなものだ。
 しかし、記代子一人のことではないだろう。日本の多くの娘たちが、似たり寄ったりに相違ない。要するに、日本の女というものは、家庭の虫のようなものだ。物質的、精神的にも、義理人情を食餌にして一生を終るように仕込まれている。義理人情にとっては、批判というものは無用の長物、あっては困るものである。記代子のように、一見、義理人情にも突き放され、世間から孤立させられた立場に立たされたようでも、義理人情から解放されたわけではない。義理人情を省察し、自己を省察することを知ったわけではない。むしろ、義理人情に縋ることしか知らない魂が、その義理人情にも見放されたことに対する咒咀《じゅそ》と、益々依怙地な敵意と、自己保存慾があるだけのことである。
 こういう女でも、男に愛される資格はある。青木が悲しく結論し得たことは、それだけであった。経済的に独立し得たところで、彼女の幸福はあり得ないだろう。なぜなら、彼女は義理人情の外には安住できない女だからである。
 男の愛情を当にする
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