された人間の逞しさといえば、それだけである。
 ルミ子の安定が十九という年齢によって珍しいということすらもウソである。乞食や泥棒の心境は年齢に関係のあることではないのである。ジオゲネスは学問というムダを重ねたおかげで、老いぼれて乞食の心境を会得したが、ムダをしなければ、子供の時から誰でもがなれる心境だ。
 長平は乞食の安定に同感している人間ではない。人生は実用の如くで、実は、最もムダを活用すべきものだ、ということを骨の髄から会得している芸術家である。人為というものを自然の上におくことを天性としている人間であった。
 しかし、人間には郷愁というものがある。たまには、炊事道具もない部屋で、乞食の心境を会得した十九の娘のモテナシをうけることは、マンザラではないかも知れない。それは休養というものである。
 しかし、人生と休養をゴッチャにするのは、利巧な人間の為しうべからざることである。休養の場を、実人生の場の如くに、安定しきっているというのは、よくよくのバカのやることで、その安定が見るからにタノモシそうでも、実用の役に立つものではない。実用にならないものは、デクであり、バカバカしいの一語につきる。
「散歩もなさらないの?」
「そう云えば、このアパートから一歩も出たことがないね」
 デクは今さら一歩もアパートから出なかったことを発見した様子であった。
「たまには街へでてごらんなさい。復興途上の街というものは一ヶ月に三年ぶんぐらい変るものですよ。一夏で銀座もまるで変りましたよ。食事がてらブラついてごらんなさい」
 長平はオックウであった。彼は散歩というような気持にはなれなかった。街へでるときは、街の中へ、溶けこむ時である。街へ生死をなげうつ時だ。
 なにも、このアパートにいたいわけではない。しかし、とにかく、この一室にいる時はこの一室に溶けこんでいる。そして、さらに街へ溶けこむことが、今は必要でもないし、オックウであった。
「今は、オックウです」
 長平は気の毒そうに、つけたした。
「ぼくが上京していることを、見て見ぬフリをしてくれないかな。街へでる時には、京都から、街のために上京します」
 デクの気持が分らぬではないが、バカバカしいことには変りがない。とにかく見切りをつけるのが利巧だから、せつ子はこだわらなかった。

       九

 放二はその二三日いくらか元気をとりも
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